今回はちくま学芸文庫『「つながり」の精神病理』より、「一人の精神科医の"自然的"限界」についてふれながら考えたいと思います。


まず中井先生は冒頭で、昔読まれたポール・ヴァレリーさんというフランスの詩人の本を読んで、心に残った言葉を書いておられます。


『1人の人間に何ができるか』


まず一人の精神科医として、中井先生はどれだけできるかといったことを量的な面で客観的な評価をされています。


まず中井先生が精神科医になられた時に『行動科学辞典』の中で、こう書いていることを見つけておられます。

「一人の患者に対する有意味な面接の回数はおよそ40回である」

中井先生もその後「ある患者に対してなんとなく無限回数面接可能な気がしている」と書いてるように、私もなんとなくそんな印象を受けてました。

ただ自分の経験を振り返ってみると、初回とその後続けたとしても初月は三回くらい。残り37回として、月一回で三年あまり、月二回で一年半(単純計算ですが、月二回を一年半やる前にどこかでだいたい月一回くらいになっていきますね。)とみると…いかがでしょうか?


また中井先生は有意味についても、「何が有意味か」と問うておられます。


『一見みのりのなかったと思われた面接があとで生きてくること、またその逆が大いにあり得る事態なのは誰でも知っていることである。』


これは本当に実感ですニコニコ


また、中井先生の文章みて驚いたのですが、

『40回前後という数値が、人間の細胞が受精卵からはじめて、有意味な分裂をする回数』

なのだそうですびっくり


『40回前後という数値が、人間の細胞が受精卵からはじめて、有意味な分裂をする回数』

「ヘイフリックの限界」というみたいです。

ネットを調べると下記の添付資料では限界は50回となってます。

中井先生がこの項を書いておられたのが1979年でした。この時の平均寿命が73.4歳。現在は81歳なので、私の勝手な推測ですが、分裂の限界の回数は平均寿命に並行した回数なのかもしれないなと思いました。



ただそれが大事なのではなく、この


『有意味な面接の回数はおよそ40回』


ということを支援の中で心にとめておくことで、見えてくるものもあるのかなぁと、なんとなく思えてきました照れ

また自分の支援を振り返るのと同時に、新たに出会う方にもそのような視点でみてみたらどうなるのか、実践してみたいと思います。