前回に引き続き、『働く患者ーリハビリテーション問題の周辺」について考えていきたいと思います。
前回、最後に中井先生が、
『治療への協力も、「精神」病患者は「身体」病患者以上であるまいかと思っている』
と書かれている、その理由について書いていくということで終わっていたかと思います。
これについてなのですが、印象深い言葉があります。
『少なくとも精神の傷は肉体の傷よりも永続する』
そのことについて、ヴァレリーさんのこの説明がとても伝わりやすいので、これを引用させて頂きます。
『40年前の心的外傷は些細な刺戟、たとえば一片のハガキを目にすることによって受傷当時の苦痛をほとんど完全に再現しうる。肉体の傷にこういう現象はあるのだろうか』
以下、病感についてです。
「奇妙なきゅうくつさ」
「ある時から全てが逆さまになった」
「蟻地獄に落ち込んだような」
「頭の中が忙しい」
「何のために焦っているのかわからないが、焦りの塊」
「考えようとしても、たくさんの硬い塊に当たってうまく考えられない。ちょうど石の多い土地に鍬を入れようとする時のように」
『もがけばもがくほど変なことになる』
『1つの問題を解決したかと思っていると、その間に3つ位問題が増えている』
…こんな状況で、1人で治療するのは、確かにしんどすぎると思います。
また中井先生は、こう表現もされています。
『発病と同時に、自己治療的な過程と破壊的過程が絡み合いつつ進行し新しい病理を作る』
精神的な病気は、特に外から見えにくいがゆえに、偏見を持たれやすい病気ともいえます。
患者さんの心の中がこのような状況であるならば、やはり『治療への協力も、「精神」病患者は「身体」病患者以上』やるべきではないでしょうか。
そして中井先生は、このように書いておられます。
『このような認識、しかも患者にも通じることば ーかぼそい架橋であろうがー
によってそれを語ろうとする試み、
患者が絶望しないための対話に必要である。』
医師や看護師など、専門職として「専門知識」を求められてきましたし、私も精神保健福祉士として病気や関わりなどの「専門知識」を学び、実践してきました。
最近感じるのは、中井先生の本からも何度も何度も出ているように『当事者意識』『その人の気持ちに寄り添う』ことの大切さです。
いくら専門知識があっても、相手に伝わらなければ意味がない、そう思うようになりました。
精神保健福祉士の資格をとるにあたり、実習先で紹介してもらった中井久夫先生の本。
あの時、専門知識のない私でも、すっと文章が理解できたのを思い出されます。
そしてお亡くなりになったことを伝えてくれた方がいてくれたから、今こうして学ぶことができてます。
どこかで読んでくれてたら、心からありがとうとお伝えしたいです
またこのブログを読んで中井久夫先生の本に関心もってくださり、実際に本読んでくれて、心救われる人が1人でも増えたら良いなとあらためて感じてます。
少し余談が長くなりました
まだこれについては、書いておきたいことがあるので、次回にまわします。