前回より続きで、「オランダの精神科医について」の項に書いていた

『心のうぶ毛』

について、中井先生の思いを綴ってみます。


主にラグーナ出版から出ているものに著書です。『統合失調症をたどる』の中で「治るということ」の項に「心のうぶ毛」について、このように書かれています。


『繊細さ、優しさ、そして人の敏感さ』


そして、このように書いておられます。


『なぜなら、この「心のうぶ毛」のようなものこそ、彼らの社会復帰ーと言うべきか、加入と言うべきかーにおける最も基礎的な資本であると、私は思うからである。』

『彼らが社会に生きる上でおおむね不器用であると仮に言われても、彼らの「心のうぶ毛」というべきものー私にはそれ以上うまく表現できないがーは必ず、世に棲む上で、共感し人を惹きつける力を持つであろう。それを世間的な意味での立ち廻り上手よりも高く評価する人間は、社会の側に必ずいると思う。』


両方の文から私が印象に残ったのが、


『必ず世に棲む上で、共感し人を惹きつける力を持つであろう。』


人を惹きつける力。

治療や支援と称して、奪ってないですかね…


同じくラグーナ出版『統合失調症をほどく』の同タイトルの章の「身体をほどく」の中でこのように書いておられます。


『皮膚の艶、髪の生気の蘇り、表情の回復、言語の抑揚、語りのまとまりなどの末梢的なことから回復が始まる。このことが大切なのである。

回復は、ひっそりと始まるものらしい。

でないと心のうぶ毛のようなデリケートのものがよみがえりにくいのかもしれない。』


こういった観察ができるようになれると良いのですが、なかなか難しいかもしれません。

でも入院や地域で過ごされている方をみるポイントになるんではないのかな?と思いますウインク


皮膚の艶

髪の生気の蘇り

表情の回復

言語の抑揚

語りのまとまり


…こういうことを

「以前と違って良くなってきた」

と言われたら、なんか嬉しくなりません?

気分も上がって治る方向にいくんじゃないかな?とあらためて思いましたおねがい


話しは少しずれるかもしれないのですが、

昔、介護の仕事を病院でしてた時、ある高齢期の鬱の女性の方がいらっしゃったのですが、その方に

『綺麗ですね』『肌めちゃくちゃ綺麗です』

と会うたびに何度も言ってたら、

めちゃくちゃ喜んでくれて、

『あたしなんも塗ってへんで』

と言ってくれてましたおねがい

その方もそれをいうたびに何度も

「こんなお婆さんに何を言うの!」

と怒られてきましたが、何か相談があると必ず私のところに来てくれました照れ

実は、夜勤中にその方の最期も看取る形になりました。辛かったですが、なんとなく私を選んでくれたんじゃないかな?とこれを書きながら、思いに耽っています…


「うぶ毛」と聞くと、ひょっとしたら「ムダ毛」として認識し、処理されているかもしれません。私には医学的な知識がないためその機能の大切さなどがわかりませんが、きっと大切で繊細な機能があることも事実だと思います。

そんな『心のうぶ毛』を大切にしていけたらと、あらためて感じていますニコニコ