「サリヴァンの統合失調失調症論」を続けます。

前回、

『患者とともにほんとうはなにが起こっているかを明らかにしようとするもので』

『ごく普通の言葉で語るのを常とした。』

『いかなる場合でも患者の不安を起こさせるような話題や話し方を避けた』


という、サリヴァンの統合失調症の患者さんとの接し方について中井先生のことばを書かせて頂きました。


ただちょっと意外だったのが、


重視したのは音調やいいよどみや脱落であり、これに目ざとくあるのが精神科面接の基礎であると繰り返し述べている。』

『精神療法でも、言語の精神療法でも、言語の音調面を重視し、言語的精神療法と言うものはなく、あるのは音声的精神療法であるとまで言っている。


ということのようです。

面接といえば、なにか「ことばの意味」がその方のなにかを変えてゆくイメージではあるのですが、音調やいいよどみや脱落が大事とは思ってもいなかったので、これからの関わり方も考えたいと思いました。

後の方に面接技法の具体例が少しだけ載ってます。


『(サリバンの)精神療法論は、こうした方が良いというより、こうしてはいけないということが強調されている。』

『統合失調症的な現実的歪曲を、こちらが容易にわかると、患者が錯覚するような態度をとってはいけない。患者が「自分の言うことがわかりますか」と聞いてきたら、「多分、ある意味ではね、そういう気もするが、さぁ」というふうにどうも自信が持てないが聴く姿勢はあるという対応がよいという。』

『幻想的に救われては放り出される妄想世界のほかに、現実的援助を与えてくれる人がいることを知るのが大切である。』


これは、サリヴァンの書いた『精神科医学的面接』に書かれているようです。またサリヴァンは統合失調症の精神療法を定式化されてないようで(こうしたら治るとかこういう関わりがいいということでしょうか)、中井先生はその理由のひとつとして、

『「何よりもまず同じ人間である」からだろうか』

と書かれています。


患者さんを治療する、という立場からみると、ダメなのかもしれないなと、いろいろ考えさせられます。

『精神科医学的面接』の本にヒントがありそうなので、また機会つくって読んでみたいと思います照れ