前回に続きます。
「思春期の少年が起こしつつあるという問題の底には、何があるのだろう。」
思春期の少年だけの問題なのでしょうか?
はたまたその親に問題があるのでしょうか?
教える側に問題があるのでしょうか?
そもそものシステムの問題なのでしょうか?
元々、この現代のような教育の場が出たのは江戸時代の寺子屋ですが、中井先生は、
『寺子屋は、第二次大戦後の欧米が追求している個別主義の教育であった』
と書かれています
ということは、実は日本は世界的には先進的なことをしていたのではないでしょうか?
ちなみに教育が現代のような学年制をとり画一的となり、集団を扱うやり方が優先するようになったのは、明治以後のことだそうです。
【学歴社会】という言葉が表すように、学校に行くことやレベルの高い勉強をすることが階級上昇のルートになっていると言えますが、寺子屋の時代はそのようなことがなかったようです。
中井先生は、
『明治以後、教育は階級上昇の王道と考えられるようになった』
と書いておられます。
とすると、
教育が現代のような学年制をとり画一的となり、集団を扱うやり方が優先するようになり、
階級上昇の王道となった
と言えるのではないでしょうか。
とすると、階級上昇したいという思春期の少年の心を揺さぶる形になってしまい、これがうまくいかないと前回のブログに書いたような問題がでるということにつながる……冒頭に書いた中井先生の問いかけの一つに、このことがあるのかなぁと自分なりに推測しました。
この項の最後に中井先生はこのように書いておられます。
『教える側も密かに変質する可能性がある。教師の側も暴力もひそかに増えていはしないか。少なくとも、子供を追いつめる一種の意地悪は。規則はますます細かな網の目となってゆきつつありはしないか。しかも、その価値を教師が信じているかどうか。ここからあらゆる悪循環が生まれうる。』
そしてサリヴァンさんの言われた言葉、
『子どもは「真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威だけだ」』
で締めくくられています。
うまくまとめることができないのですが、少なくとも教師がバカバカしい権威をみせるようなことをすると、それを受ける子どもは「反抗」という形で現すのかもしれませんね。
もう一度、寺子屋のようなことを目指すと良いのかもしれませんね…
個人的な感想なんですが、本当に中井先生は医者の枠を超えて、様々な観点から見ておられるので大変参考になります。前回最後に書いたジャーナリストの立花隆さんとの対談したら、とても興味深い話聞けたんだうなと、あらためて思います