今回はちくま学芸文庫『「思春期を考える」ことについて』から、タイトルの『「思春期を考える」ことについて』の項で考えてゆきたいと思います。


これから書こうとする事は、もちろん中井先生が書かれたことを中心に書いていきたいと思いますが、表現を間違えると批判だけになってしまうかもしれませんので、今まで以上に心配りながら現代の日本の教育のあり方を考えてゆけたらと思っています。


冒頭から中井先生は、

『私は、現在の思春期をめぐる社会病理を論ずるのに大きなためらいと惑いを覚える。率直に言って、私は何か危ういものをかすかに感じているのだ。現在の思春期よりも、それを論じる角度に。』

と書かれています。


まずこの項を書かれたのが、1981年なので、ちょうど「不良少年」といった言葉がでていた(今打ちながらおもいましたが、この言葉も今考えるとひどい言葉ですよね…)時期で、テレビ番組で「積木くずし」やもう少し後にはなると思いますが、「スクールウォーズ」に描かれていた時代になるかと思います。


中井先生は戦前の学校の様子について、学校内の暴力や非行のことから書かれています。外国籍の学生に対する集団暴力だけでなく、特権階級の子が通う学校の陰湿な教師いじめなどがあったと言いますし、中井先生も実際に目の当たりにされたようです。


また、

『学校内の暴力の量が最大だったのは、戦時中の学校であると思う。』

と書かれ、その時に多かったのは、教師とこの時期の教師へ暴力を振るっていたであろう少年とが、他の児童に暴力を加えていたそうです。


中井先生は、

『私も地元学童だったが、疎開学童と組んで、いかに理不尽な暴力を避けるかに頭を絞った。私もかなり残虐な目にあったこともあるが耐えた。

親にも教師も言わなかった。親は無力であり、教師は必ずしも味方ではないと思った。

と書かれています。


これを書いてる私自身も酷い目にあいましたが、親には心配かけてはいけないと、黙ってましたね。


ただ中井先生はこのように書かれています。


『子どもの社会は大人の社会を映す鏡である。

 つねにそうなのだ。

 被害者はいつも差別されている側だった。』


今、地域では障害者のグループホームの設立反対運動や保育所の騒音としての苦情、特別支援学級といった障害がある生徒とない生徒(というのが正しいのかわかりませんが)にわけるといったことがおきていたりします。


数年前に起きた教師へのいじめの事件もそうだし、以前ブログにかいた兵庫県の神出病院や滝山病院の事件も根っこの根っこを辿っていくと、こういったところに繋がるのではないでしょうか。


子どもの権利条約など、確かに大事だし、否定するつもりもないのですが、もう一度大人の社会を見直す必要もあると思うのですが、どうしたら良いのでしょう…ショボーン


(つづく)