今回は、ちくま学芸文庫『「つながり」の精神病理』から「日本の家族と精神医療」についてです。


支援の中では、対象となる本人の家族へのアプローチが必要となる場面が多いかと思います。私が精神保健福祉士やケアマネジャーとして働き出した時は、本人を中心とした家族のみの支援が多かったように思います。


現代では、今までの行政や我々民間の事業所の支援だけでなく、制度外の支援で支えられている感が多々あります。


中井先生は、それを予言されてたのかな?と思うような文章を残されていました。


『(家族の構成について)木の枝わかれのようなツリー・モデルから次第に、絡み合った構造のいわゆるリゾーム・モデル(根っこモデル)に移り、さらにそれを重ね合わせたモデルになるだろう。』

(ツリー・モデル、リゾーム・モデルは画像検索などで、ご確認願えたらと思います。)


そして家族を

『非常に小さな単位でありながら激烈な相互作用と本質に迫る変化とが起こってやまないという点で家族は独特な集団である。』

と示されています。


そういう私もそうですが、家族と離れて暮らしていても、やはり家族の病気などで仕事を休んだり、実家に帰らざるを得なくなったりと、影響を受けていることは実感します。


中井先生は、

『家族よりも古いのは母子関係である』

『母子関係は家族の一部であるという考えは、実際はあやまった認識ではないか』

と書かれています。


というのは、スイスの生物学者ボルトマンがこのような見解をだしているからではないかとの事です。

『生後1年目に、人間はようやく他の哺乳類が生まれた時と同じ状態に達する。人間は生理的早産児であり、それは大きな頭脳を持った胎児が産道を無事通過するために必要な変化で、人間が人間になるために必要な変化であると同時に、人間を独自な能力と独自な欠陥を持った生物たらしめたという。』


つまり、人間は生まれて一年はカンガルーの子が母親の袋にいるようなもので、その後「父」を見つけ出し、家族がはじまるため、


『家族よりも古いのは母子関係である』


と言われたのが、その理由なんでしょうね。


私は独身で結婚もしておりませんが、数年前にこれ読んだらと勧められた『妻のトリセツ(講談社)』の中で、周産期、授乳期の妻は「自分で自分をコントロールできない『慢心創痍』の状態」と書いていたのを思い出しました。


人間は、生物学的に早産であるという事は初めて知りましたし、母親である立場の女性は、「妻のトリセツ」で書いていたように、とても大変な状況で、すごい仕事をしておられるんだなぁとあらためて思いましたびっくり


なので、保育園の先生達にも、働きながら仕事をせざるを得ないお母様にもっと労いの言葉をかけてほしいなぁと思いますし、保育園の先生方もみなさんがいらっしゃるからこの社会が維持できてるんだなとあらためて感謝したいと思います☺️


しかし、現代ではさまざまな家族関係などの問題も出てきていて、中井先生はその経過について、


『国家やその下部組織が家族を管理し、税や人間を徴収する社会になってからの家族は、社会と個人との矛盾あつれきの戦場になってきた。』


と書かれています。

冒頭に書いたように、子ども食堂や無料塾、フリースクールなどの制度外のサービスが今の日本の家族の支えになっている以上、やはり税制も含めた社会システムから見直してゆく必要があるのでしょう。

(決してそれら制度外のサービスを制度にすればいいといったことではなく)


中井先生の本の面白さは、精神科医という立場から病気をみる視点を、さまざまな角度から見てらっしゃる点にあると私は感じてます。


次のブログでは、日本と外国の家族の比較、日本の家庭の特徴を挙げて、自分なりに考えてみたいと思いますキラキラ