精神健康の基準…続いては

「両義性(多義性)に耐える能力」

である。

どういうことか、中井先生の文章を引用すると

『(自分の)母親が、同時に、父の妻で、世間では、ただのオバサンで、生理的にも心理的にも女性であり、成人であり人間であるという認識は、実は相互に矛盾しているところがあって、これに対する耐性が低いと、「母が父に抱かれているのが許せない」ことになってしまい、さらにもっと妄想的な観念を生む。エディプス複合が正気と狂気の境目で、この両義性を突破したものが、成人性を帯びる資格を生じると言うフロイト派の考えには、一理がありそうである。』

と書かれています。


今年の夏でしたか、ある公務員の方が休憩中にアイスクリームを食べて、それがSNSで拡散されて、社会的に注目を浴びた記事があったように思います。

「国民の税金で休憩中にアイスクリームを食べてる」ということであろう批判だと捉えていますが、これも中井先生のいわれている、人の多義性が欠けた視点のように思います。


障害のある方から特に仕事に関する相談をされる時、[(相談を受ける側が)仕事に対して全く悩み事のない完璧な人物]と捉えられている方もいたりします。

あと支援者を神様のように捉えていて、「支援者はこうあるべき」と言われる方もいて、なかなか対応が難しいことがあります。


そう言っておきながら自分自身も他者の対応に対して、場面によっては「こうあるべき」と視点が狭められることもあります。

そういう時には「人の多義性」を考えると、少し距離や余裕もってその人をみれて、お互い理解できるのではないかな、と思います。