今回は少し内容を変えます。
先日、映画『月』を観てきました。
そのことで少し、自分なりに考えたことを書いてみます。

https://www.tsuki-cinema.com/


この映画は実際に起きた2016年の障害者施設での殺傷事件を着想に描かれた小説を元に映画化されました。

内容を書いていくとネタバレになるのと、是非みて頂き考えてもらいたいので、そういう気持ちを抑えながら書いていきたいと思います。


「言葉が届かない」

 ことばが届いていれば、何か変わったのではないか。発した『ことば(おもい)』を聞き逃してないか?

(実際の事件でも、そうだったのではないでしょうか)


 ことばがある=心がある…のでしょうか?


「自分の中の排他性」

 あることは認める。わかることもある。だから排除するのか?


「もし自分だったら…」

 その人の大切にしてるものを安易にみてはいないか。


…映画の中でも、役者さんのセリフを通して、石井監督は、この出来事を『映画化する』ことへの矛盾した思いを伝えておられます(と、私は感じてます。)

 実際に現場で働いている方や障がいのある当事者、家族、またお亡くなりになられた方々とそのご遺族の方々への想いも踏まえ、制作や公開にあたっても、出演された俳優さんも含めて非常に悩まれた作品と伝わってきました。


実際に映画で描かれている施設は『ちょい大袈裟かな?」とも思います。

ただこの事件が起きた後の経過を振り返ると、映画のセリフの中の虐待案件の話(お尻にボルト入れられてる等)は、実際にその内容が社会に明るみになる前に映画は作られていることなども踏まえて、この作品はほんとよく調べておられたのだなぁと思います。もしかしたらこの映画がなかったら、この事実も明るみにならなかったかもしれませんし、この『事実』を伝えた職員さんも、とても勇気がいっただろうなと思います。


人にはいろんな表現の仕方があるのだと思います。言葉はたしかにその一つだとは思いますが、

その人の発せられた言葉が必ずしも正しい思いを伝えられているかというと、環境の影響により、そうではない場面も多々あるかと思います。

そう『言う』こと、そう『行動する』ことでしか表現できない方もたくさんいらっしゃるかと思います。


『空気を読む』ことを求められることも多いこの日本で『空気を読まない』動きが、誰かを救うこともあるのだと思います。


 最後にこの『月』のパンフレットでの俳優さんの思いを書いて終わりたいと思います。


『(施設が)安心した環境とはほど遠いところがかつてあったことをこの映画は描いている。

 でもそれを暴いて、明らかにするというのではなく、映画という芸術を通して、みんなでいっしょに考えていけるきっかけになればと思っています。』