日本の病院でのコミニュケーションのあり方について、中井先生は、医療人類学者のゴーディルという日本の病院に患者として体験入院したこともある方の報告で、


『病院は、患者と看護師と医師という3つの「カースト」により成る社会であるという。

単に「階層」といわず、わざわざ「カースト」と言うのは、3つの間を人間が移動する事は普通ないからだ。』


言われてみると、そうですよね。

どうしてもヒエラルキーのある社会構造に病院はなってしまう。


『こういう場合に、はっきり言葉で「伝える」ことにだけ割り切ってことを運ぶのがアメリカ流だ。いかにも移民の国である。日本の医療はアメリカのあとを追っているのだが、はっきり言葉で言って角の立つことが多い国柄である。』


いわゆる「空気が読めない」発言をする方が、今の日本の職場で、はっきりと物事を言ってしまうことで関係性を悪くしてしまう場面がありますが、他の国の方からすると、空気も読まないといけないし、はっきりとものも言わないといけないということで、日本でのコミュニケーションはとても高度なことを、求められているのかもしれませんね。

ひょっとすると、少子高齢化から外国人労働者の受け入れなどを考えると、このような方々が尊ばれる国に日本は向かわないと、変わらないといけないのかもしれませんね。


『自然に伝わるものを先取りして「気を利かす」ことが重く見られる。「気働き」が重んじられる。そのために「気疲れ」する。実際日本人の疲労のかなりの部分は身体や頭の疲れではなくて、「気」の疲れである。』

『どの程度使うと良いかは、それこそ「伝え」てくれるチャンネルがなくて、自然に「伝わる」のに従うのである。』


日本人が心の病をもつ原因も、こういったことが大半なのではないか、と中井先生の文章読んで感じました。

最近はスマホなどSNSでコミュニケーションをとることで、その場の空気だけでなく、既読になる時間等などで『自然に「伝わる」』こと、もしくは想像してしまうことで、『気疲れ』が起こっているようにも感じました。

ますます心が疲れないような対処は考えないといけないのでしょうね。


でもこの気働きも、日本の医療では良い面を支えていると中井先生は書かれていますが、医療や看護の仕事では「気疲れ」だけでなく「感情労働」[武井麻子先生(日本赤十字看護大学名誉教授)]も積み重なると言われています。

もう少し、このあたりは次回で先生の本に触れながら書いて整理してみたいと思います。