今日はちょっと「易服」を説明します。



古代中国語で、「易」って「変える」、

だから、「易服」って、「衣装制度を変える」という意味です。


漢民族のその服飾制度は周から明代に至るまで、三千年来漢人の服装の基本的特徴には大きな変化はない。


今日の旗袍 (チャイナドレス)、、馬はいずれも満州族の民族衣装を改良し発展させたものです。


アヘン戦争以降の清朝末期にヨーロッパ列強の侵略により西洋文化が多く流入して、その後、辛亥革命 により満州族 統治の清朝が倒れると、中華民国が建国され、近代化に向かいます。人々の思想は西洋化に向かい、西洋風の服装に変わり、漢服の回復はなかったんです。


-以上-


もうすぐ中国の七夕になりますから、

最近、このブログでもっと多くの中国の伝統的なものを皆にご紹介いたしたいと思います。





まずは漢服

前は紹介したことがありますけど、あまり詳しくないと思いますが、

今度、もっと系統的に説明するつもりです。(^.^)


歴史についての文章だから、つまらなくて難しいと思って、皆中国の歴史がよく知ってる人がやっぱり少ないから、

または私の日本語レベルが限っているから、文章は分りにくいならごめんね…(^.^)



ハートそれから漢服の滅亡を少し説明します。



漢服って中国の漢民族の伝統衣装ですが、

残念ながら、その伝承は清王朝に入って、だんだん中断されました。

その時、満洲族に統治されていた清王朝は自分の統治を固めるために、漢族人に剃发易服」っていう制度を強制しました。




剃发って「髪を剃る」という意味で、漢民族の男子の髪型って、清王朝まではまだ「束发」でしたが


陌上花開緩緩歸






(これは「束发」です。長い髪をすべてアップして、かんざしなどを使って固定します。)





でも、当時の満族人は全てそういう髪型だからこれ





陌上花開緩緩歸


(図の左は清王朝の満族人の髪型の変革。右は清の前の漢民族の一つの王朝---明王朝の髪型と衣装.)


清王朝に入って、満州族の皇帝は漢族人の思想を控えて、または統治を固めるために、「漢族の男はそんな髪型に剃らないと殺します」という制度を実行しました。

でも、そういう制度が厳しいなんですけど、絶対髪を剃りたくない人が随分沢山いました。漢族人はずっと昔からの「身体发肤受之父母」っていう観念が深まっているから。



ほかは「易服」。

あぁ、文がもう随分長くなっていましたが。あせるその部分の説明は今度にします。(^.^)






















友達と買い物に行ってきました~


陌上花開緩緩歸


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今度買うつもりは全然なかったんですけど…




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それを見つけて、思わず買ってきた。><やじるし花柄シフォンリボンバレッタ~りぼん2



(今年、花柄がマスト~!


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しょうがないなぁ…
私やっぱりリボンフェチだ…リボン囧




そして、




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色がかわいい lip gloss口紅 口紅




最後、

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花王のスタイルロックHair Spray~
ふわっふわのまま、つぶれやすい逆毛瞬間ロック~ロック






つまらない日誌だから、><
以上~