未来の会がスタートした頃、学校に行かないことを「登校拒否」と言うことが多かったように思います。
今から思えば、登校拒否という方が子どもの主体性を尊重していたように感じますが、
当時は「拒否はしていないけれど、行けないのだ」というニュアンスを込めて「不登校」という言葉を採用し、
「不登校やひきこもりの子どもと共に歩む会」にしたように思います。
その後は、どのような経緯なのかよく覚えてはいませんが、
学校に行かない状態の子ども達を「不登校」と称するようになったようです。
時々拝見している漂流教室のFacebookで、下記のニュースを知りました。
学校を長期的に欠席する不登校について、山本知事はネガティブなイメージを払拭したいと新たな名称を使用すると発表しました。 「不登校」に代わる名称として山本知事が発表したのは、「UniPath(ユニパス)」です。
「ひとり一人の」という意味の「unique(ユニーク)」と、「道」を意味した「path(パス)」を合わせた造語で学校に通わないことは悪いことではなく、「ひとり一人の道を歩んで良い」という考え方を示しています。
県では2023年度から高校生が知事の相談役となる「リバースメンター」制度を設けていて、今回、「不登校という言葉にネガティブなイメージが強い」というメンターの高校生から「ユニパス」の提案を受け検討を進めてきたということです。
山本知事は不登校のイメージを変えていくため、「ユニパス」の考え方を県外にも広めていきたいとしました。
県教育委員会によりますと、昨年度、不登校の小中学校の児童生徒数は4731人と過去最多でした。
知事は学校に通うことに不安があれば抱え込まずに専用の相談ダイヤルや学校の職員に相談してほしいと呼びかけました。
それに対して、漂流教室のFacebookでは
でも、文科省の調査には「不登校〇〇人」って回答するんでしょう。
うちには不登校はありません、みなそれぞれの道を歩んでいるだけですとは言わないわけでしょう
どんな子供でも安心して成長できるのが大事で、学校はその一部なのに、どうしてそこだけ取り出そうとするんだろう。
「不登校」として切り分けられたところへさらに特別な名前をつけられて、子供は喜ぶのか。
アニメ『違国日記』第三話を観た直後なんで、なおさら引っかかる(相馬)
群馬県では、高校生の「不登校という言葉にネガティブなイメージが強い」という言葉を受けて検討してきたということで、
その姿勢は良いと思うのですけれど、やっぱり私も少しひっかかります。
子ども達は、「不登校」とネガティブなレッテルを貼られるのはいやでしょうが、
言葉を変えたらポジティブな気持ちになるのでしょうか。
最近は造語が多くて、古い人間の私はそれに混乱させられます。
日本語での造語ならまだしも、カタカナ語の造語はなかなか定着しないでしょうし、
それで胡麻化される気分にはならないのでしょうか。
先日、以前に未来の会に参加してくれていたお母さん達三人と、久しぶりに会う機会がありました。
それぞれお子さんが小学校から中学校にかけて学校に行けなかったという体験の持ち主で、
いつのまにかそのお子さん達は30代を超えていました。
学校という場に辛さを感じて行くことができなくなるお子さんは、
それぞれきっかけは違いますが、繊細で優しく真面目な子が多かったように思います。
嫌なことがあっても「自分が悪いのだろうか」と思ってしまったり、
心配する親や先生に対して申し訳ないと頑張ったり、クラス内の不穏な空気に怯えてしまったり。
それが積もり積もって心身への変調となり、病院に行ったら色々な病名がついて薬まで服用したり。
多かれ少なかれ、そんな経験をしているような気がしています。
その間には、色々傷つくこともあり、時には嫌な体験がトラウマになったりと、
その後もなかなか生きづらくなることは多いと思います。
でも、私が見聞きしてきたところでは、小中学校で学校に行かなくなっても、
家庭で普通の生活を過ごすことができていたら、それぞれ何とかなっているなという印象です。
もちろん、その途中で不幸なアクシデントが重なってさらに辛いことになる人もいます。
でも、それは学校に行っていても同じことで、親にとっては順調に何事もなく大学進学や就職してから
思いもよらないことに遭遇して苦しむことはあるのです。
はっきり言いたいのは、小中学校でしばらく学校に行かなくなったら、
それがその子や家族のチャンスなのかもしれないということです。
大切なのは、子ども一人一人が自分の頭で考えて、自分がどのような気質や個性で何が好きなのか、
何をしている時が一番楽しいのか、それはなぜなのか、気付いていくことではないでしょうか。
親はその成長を見守り応援し、「人生色々あるよ。いつも味方だよ」と笑顔で励ますことが一番でしょう。
それぞれのお子さんの今の様子を聞きながら、「あの時は子どもに対しては反省ばかり」というお母さんに、
その姿勢こそが一番大切なのだろうと思いました。
昔、未来の会の世話人をしていた頃に、お母さん達からよく聞く言葉がありました。
「例会で色々話しているうちに心が軽くなって、今日からは子どもに優しくしようと思うんだけど
何日か経ったらまた忘れてしまって元に戻ってしまうんだよね(笑い)」
私はいつも、それでもいいんだと思っていたし、そう言っていたと思います。
そうやって子どもへの思いを確かめ確かめ、子どもの気持ちを受け止めようとしていたら
一時期は悪化していた親子関係も、きっと何とかなっていくでしょう。
人は色々な成長の仕方があるのです。
その社会資源として学校もあるということです。
「不登校」という言葉が悪いせいではなく、その状態を良くないことと決めつけることが悪いのではないかと思います。