Facebookで下記の投稿を読み、とても共感したので転載します。

 

安居 長敏さんのFacebookから

人の成長は、外から「正解」を与えられた瞬間ではなく、

自分の内側で何かが引っかかり、立ち止まり、考え直す時間を経たあとに起きているように思います。

いわゆる「内省」と呼ばれる営みは、誰かに命じられてできるものではありません。

むしろ、内省が生まれるかどうかは、その人が身を置く環境によって決まる——

それは、日々の関わりの中で何度も確かめてきたことです。

 

今日のイベントでも、生徒が自己変容していくためには

「安心して話せること」「失敗が許されること」が欠かせない、ということが話題になりました。

人が変わる瞬間は、叱責や正解提示の先にあるのではなく、

未整理な思いや、まだ形にならない言葉を、誰かの前で思い切って差し出せたときにこそ訪れる。

そう確信しています。

 

安心して失敗できること。言いたいことが言えて、きちんと聞いてもらえること。

これらは、挑戦を後押しするための“やさしさ”というよりも、

人が自分自身と向き合い続けるために欠かせない土台だと思います。

失敗が即座に評価やレッテル貼りにつながる場では、人は早々に考えることをやめてしまいます。

一方で、失敗のあとに「何が起きたのか」「どう考えたのか」を語る余地が残されている場では、

経験は振り返りを経て、次の一歩へと確かにつながっていきます。

 

また、成長の原動力は「安心」だけでは生まれません。

生徒にとって「ちょっと無理かな」「でも、手を伸ばせば届きそうだ」と感じる負荷がかかるとき、

内側で何かが動き始めます。

不安を抱えながらも一歩踏み出す、その経験こそが、自分を更新していく力になります。

ただしその挑戦は、失敗しても受け止めてもらえるという確信があってこそ成立します。

守られているから背伸びができ、背伸びをするから内省が生まれる——

安心と挑戦は切り離されたものではなく、一体化してこそ、大きな力になるのだと思います。

 

「言いたいことが言える環境」とは、単に発言の機会が用意されている状態ではありません。

考えが途中のままでも、その言葉が受け止められること。

沈黙や言いよどみを、「考えている時間」として待ってもらえること。

すぐに結論を求められたり、正しさで切り取られたりしないという予測可能性があってこそ、

人は自分の内側を、安心して探り続けることができます。

 

そして、その環境を最も強く形づくるのは、大人自身の姿勢だと思います。

分からないことを分からないと言い、判断を修正するときにはその理由を語る。

間違えたときに言い訳ではなく振り返りを選ぶ。

その姿は、「人は未完成のまま、変わり続けていい」というメッセージとして、確かに子どもたちに届いていきます。

 

人が自己変容していくために必要なのは、過度な管理でも、根拠のない放任でもありません。

安心して揺れられる土台の上に、少し背伸びを促す挑戦が重なっていること。

その両方を丁寧に編み込みながら場をつくっていくこと——

それが、生徒たちの成長を信じ、応援する大人として、そして学校という場をつくる立場として、

これからも大切にしていきたい姿勢です。