ノーマライゼーション啓発事業の「ふれあい広場」で出会った、

遠道さんナオキさんユウコさんについて書いてきて、

次は当時出会った高校生や若者たちについて書こうと思っています。

ふれあい広場活動にどうしても参加してほしかったのは、

ナオキさんや遠道さんのようなハンディを持った人たちと、

これからの社会で生きてゆく若者たちでした。

その人たちが自分のこととしてノーマライゼーションを理解してくれなければ、

あまり意味はないと思っていたからです。

今回はその前段として、当時の私のボランティアについての思いです。

その頃の社協には、「ボランティアの育成」も大切な仕事だったから、

ノーマライゼーションとボランティアを連動させるのは私には必然でした。

下記の文章は、5年ほど前に別のサイトに私が書いたものを転載します。

 

 

「ボランティアについて」2019年10月

 

私がボランティア活動に関わったのは仕事上からが始まりである。
もう、35年以上も前のことで、私たちの地域では「ボランティア」は一般的な言葉ではなく、
「奉仕活動」と言った方がピンとくるような人たちばかりだった。
当時の私が与えられた仕事は、「ボランティア活動の推進、啓発」であり、
その時から私は「ボランティア活動」について真剣に考えことになる。
私自身が、ボランティアが何なのかよくわかってはいなかったし、
当時広く認知されていた「奉仕活動」でなくて、外来語の「ボランティア」を啓発しなくてはならない意味がよくわからなかったのだ。
そのことを先輩職員に聞いても、私の腑に落ちる説明はしてもらえず、
結局自力で調べたり聞いたりすることから私の仕事は始まったように思う。

やがて私は、これからの社会には「ボランティア」という言葉でなくてはならないのだと納得するようになる。
自分なりに理解と納得をしたからには、従来の「奉仕活動」からの止揚を図らなくてはならない。
当時は「止揚(アウフヘーベン)」なんて言葉も知らなかったけど、当時考えていたことはそれに近いものだったと思う。
つまり、「奉仕活動」に含まれる「社会や組織などから依頼されたりした役割を、無報酬で活動する」というような考えから、
「自発性」というキーワードを強く意識したものにするということであった。
誰に頼まれなくても、自分の内部から湧き上がる必要性や意味付けによって、自分から動くことが大切だというとである。
そしてそれは、何の見返りも求めず、自分がやりたいと思い、やらなくてはならいと信じ、
それを行動して納得し、かつその相手から喜ばれたりすることが嬉しいという気持ちが大切だということと私は思ってきた。
「自分がやりたい」と思うことの中には、思いを共有する人たちとの仲間になりたいということもある。
目の前の困っている人の手伝いをすることで、その人の笑顔に心からの満足を得ることもある。
まあ、このことについて書いたら長くなるけれど、「自分の心が納得し満足する」ことがとても大切なので、

それを見て「自己満足だ」「偽善だ」なんていう人もいたりするが、
「自己満足で何が悪い!」という気持ちで私は無視している。
「偽善だというなら、偽りでもいいから善いことしてみたら」とも心の中でつぶやいたりもする。

というわけで、仕事をしていた時には、特に若い人たちにボランティアの楽しさや喜びを知ってほしいと思っていた。
退職してからは、そんなことをしていた私がボランティア活動をしないでどうすると思い、
誘われたらいやではない限り事情が許す限り関わっても来た。
その中で、中心メンバーが入れ替わらなければ会は必然的に活力を失い、
ボランティア仲間と言う親睦団体になってしまうことも理解するようになった。
だからこそ、私は主たる役員の交代を図ることを、その会での役割と思うことになったのだ。

そして、首尾よく役割交代が出来た今は、「目の上のたんこぶ」にならないうちに、
この会からフェードアウトする時期を見計らっている。

しかし、最近二回ほど、代表をしていた会の説明やその理念などを説明する機会を得て、
フェードアウトの前に仲間たちに今までの私の思いも話してもいいのかなと思っている。
特に、中心メンバーにはボランティア活動の意味や、
行政や他の機関や組織との連携の大切さなどは、しっかり伝えなくてはならないとも思った。
ずっと一緒にやってきたから相手もわかっているはずと思うのは間違いで、
理解してもらわなくてはならないことはきちんと言葉で伝えるべきなのだなと。
そして、あらためて痛感したのは、様々な公的組織でボランティアに関わる人たちの意識は、
まだまだボランティアについての認識は薄く、
かつどのようなボランティア活動が地域でなされているかということの情報も共有されていないということだ。
「市民との協働」を行政側が言うようになって随分になるが、
このままではボランティア活動はかつての「奉仕活動」に逆戻りするんじゃないかと思うことすらある。
今の私はその分野まで食い込むことはできないけれど、
せめて仲間達には「ボランティアとしての自律・自立と矜持」を意識してほしいと願っている。

 

付け加えれば、私は上記の考えの中で、「未来の会」の世話人活動を続けてきた。(現在は後方支援だけど)