篠原 信氏のFacebookの投稿に、心から賛同したので転載します。

 

「親や上司は子どもや部下よりも必ず優れた能力を示し、完璧でなければならない」という思い込みが強いように思う。

しかし、次の実験は、ユニークで示唆的なように思う。

 

「朝イチ」という番組で、いくら注意しても子どもが道路に飛び出してしまうので困っている親子に集まってもらった。

実験では親に目隠しをしてもらい、「君が親の手を引いて、安全に道路を渡ってほしい」とスタッフが子どもに伝えた。

すると、いつもは横断歩道に立っても全く左右を見ることなく道路に飛び出していく子たちが、何度も慎重に左右を確認し、目隠しした親の手を引き、慎重に手を上げて渡った。親は驚いた。

「これまで何度注意しても左右を確認しなかったのに!」「何度厳しく叱っても道路に飛び出していたのに!」

子どもたちは1人残らず、親を守るため、安全をしっかり確認してから道路を渡った。

 

恐らく、この子どもたちはこれまで、安全確認を親に「外注」(アウトソーシング)していたのだと思う。

道路に近づけば親が警戒するし、左右も確認してくれ、危なければ警告を発してもくれる。

「なら、僕らが左右確認する必要ないや」と、「思考の節約」をしてしまっていたのだろう。

人間は、使わずに済ませられる能力は伸ばさない、という不思議な仕組みが備わっているらしい。

 

カーナビに従って運転してると、道を覚えられないという現象も「思考の節約」かもしれない。

カーナビが道案内してくれるなら、自分で道を覚えすに済む。

どこの目印で右に曲がるかなんて考えずに、カーナビが右に曲がれというから曲がってしまう。

「思考の節約」が自動的に行われてしまう。

 

イヌイット(エスキモー)の人たちも、今ではカーナビに頼っていて、カーナビが故障すると道に迷い、凍死してしまうことがあるという。

昔は夜空を見て、星の位置から自分の進むべき方向を見定める事ができたのに、カーナビに頼ることで「思考の節約」「能力の節約」が起き、能力が育たなくなる。

 

昔、「ドン・チャックの大冒険」という番組で、子どもたちが親を手伝おうと、洗濯を頑張ったけど、洗濯物はしわだらけ、地面に垂れ下がり。「もう!全部やり直ししなきゃいけないじゃない!」と親は怒り、子どもがしょげる、という回があった。

子ども心に胸が痛かった。

「最初はできないのは当たり前、失敗も含めて子どもがやろうとすることを見守らないと、力は育たない」なんてことを、主人公の父親がつぶやいていたのを覚えている。

子どもが最初から、理想の洗濯の仕方を要求しても無理がある。

体の小さい子どもでは、タオルのシワをとるのも大変。

子どもには無理な部分は補いつつも、子どもにできそうなことは任せる、委ねることが大切。

背伸びすればできることから一つずつ、能力を開拓していく必要がある。

 

我が家では子どもに少しずつ料理を手伝ってもらってきた。卵を割るのは3歳になる前からやってきた。

最初は、1パックが全部うまくいかないことも覚悟の上で、卵を割ってもらうことに挑戦してもらった。

細かくは指示せず、卵を割った時の手の感触から、何をどうしたらよいか、本人に発見してもらえばいい、というつもりで、子どもの様子を観察した。すると、4個目くらいでうまくいった。

次の機会は3個で、次は2個で、その次は最初からうまくいく、という感じで、瞬く間に卵割りをマスターした。

黄身と白身に分けるのもあっさり成功した。

親が変に指示を出さず、自分の手で起きる感触から、なにをどうしたらよいのかを学習することで、急速かつ膨大に学び、修正できたらしい。

 

我が家では、子どもが失敗する機会をなるべく奪わないように注意している。

親があれこれ正解を教えてしまうと「思考の節約」「感覚の節約」が起きてしまい、親の言葉に従おうとするあまり、自分の手の感触、視覚情報、音、においなど、五感を通じて入ってくる情報がシャットアウトされてしまう。

五感がシャットアウトされ、言葉に支配されてしまうと、「思考の節約」「感覚の節約」が起き、五感を通じて入ってくる 膨大な情報から学び取る能力が失われてしまう。

その結果、五感から何が起きたかを学び取り、どう修正すれば改善できるか、という試行錯誤も難しくなってしまう。

失敗体験を重ねるチャンスを奪わないようにすると、子どもは急速に五感から現実を学び取り、修正する力を備えているらしい。しかし親が先回りすると子どもはその力を育てることが難しくなる。

 

冒頭の「道路に飛び出してしまう子ども」に話を戻すと、「守られる立場」が彼らの力を弱めたのかも。

逆に「親を守らねばならない立場」に置かれた時、自分の振る舞い一つで親の運命も決まってしまうと考えると、子どもは持てる能力をフルに生かし、五感を開いて現実から学び取ろうとし、うまく行く方法を探ろうとする。

自分が親に貢献する立場になった時、子どもの能力が最大化されたらしい。

 

親は、子どもより優れた存在でなくてよいと思う。

むしろ子どもに補ってもらうくらいのつもりのほうが、子どもの能力は伸びる。

もちろん、ヤングケアラーのように、子どもに過度に依存する事態は、社会的な支援等を通じて避けるようにしたい。

ただ、親が子どもを守るばかりでは子はかえって育たない。

親は子どもより優れていなくて構わない。

そのほうが「思考の節約」が起きず、子どもは五感を開いて現実から学び取る。

子どもの能力が開発されるのには、親が変に教えるよりも、「教えない」ことのほうが有効な場合がある、というのは頭に入れておきたい。