昨日、かつて未来の会に参加していたHさんと久しぶりにお会いしました。
未来の会に参加してくれたのは、娘さんが中学一年生の時に学校に行かなくなった時。
そのAちゃんは、中学では学校に行かなかったけれど、音威子府美術工芸高校を卒業してから京都の専門学校に進学し、
現在は高山市にある仏像彫刻工房に弟子入りをして、自分の作品も制作しているとのこと。
その作品を譲ってほしいとお願いしたら、このお地蔵さんを届けてくださいました。
お地蔵さんを受け取るために近くのココスで久しぶりにお会いして、
近況報告やかつての思い出話、現在の学校のことなど沢山お話しすることができました。
そのことについて、Hさんがご自分のFacebookに書いてくれましたので、
ご了解を得て転載させていただきます。
今から10年程前、中学生だった娘が不登校になり、その頃お世話になった不登校、引きこもりの会未来の会で
当時の世話人をされていた方が、娘の作った作品を購入してくださりました。
その作品を渡すためにお会いしてランチをしながら色んなお話しさせて頂きました。
学校に行けなくなり、外に一歩も出る事が出来ずに、食欲もなく弱りきっていた娘を見ながら
この先どうなってしまうのか、先の見通しもつかず、不安に押しつぶされそうになっていた頃、
市の広報誌で目にした未来の会の例会の案内。
三ヶ月悩んでとりあえず参加してみようと思い、夜の部の例会に参加させて頂きました。
そこで娘の状況やその時の私の気持ちなど聞いてもらい、胸に溜め込んでいた思いを一気に吐き出させて頂きました。
その後も毎月例会に足を運び、少しずつ私の気持ちも整理され、
娘を受け入れて見守り寄り添う力を私にくれたとても大切な場所でした。
何より私自身の思いを吐き出す場所があったことで私自身が一番救われていました。
子供を見守り寄り添う事の大切さと難しさも感じながら、私も娘も忍耐の時でした。
不登校だった時期に、娘自身も自分の気持ちと向き合い、自分のやりたい事を見つけた娘は、
高校は親元を離れて北海道の音威子府美術工芸高校に進学し、そこで彫刻に興味を持ち、
卒業後は京都の大学で仏像彫刻を学び、現在は岐阜県高山の工房に弟子入りし、
自分の作品作りもしながら生活しています。
木彫刻に出会い今の娘の生き方があるのは、あの時の不登校の時代があったからなのかなと思います。
不登校時代がなければ音威子府の学校に行くこともなければ、京都の大学にも岐阜県に行くことなかったかもしれません。
そう考えると人生の巡り合わせで今とは違う道を辿っていたのかもしれないなあと感じます。
娘の作ったお地蔵さんは我が家にもおいてあります。
とても穏やかで優しい顔のお地蔵さん。
このお地蔵さんのように穏やかで優しく生きていけたら最高ですね。
昨日お話をしながら、親の会の役割は安心できる場所で心の中の思いを吐露し、
共感しあい経験を共有しあうことなのだとあらためて思いました。
不登校になるいきさつは人それぞれだし、親の性格も家庭環境もみんな違います。
それでも、子どもが苦しんでいる時の親の不安や戸惑いは、今も昔も変わらないでしょう。
未来の会がスタートした頃とは不登校に対する理解やその後の選択肢も増えたとは思いますが、
親の気持ちや子どもの育ち方には変わりはないはずです。
何でもAIに相談したり、ネット環境での相談や仲間づくりも増えてはいますが、
人間である限り直接顔を合わせて話をして、聴いて、対話をする中で自分の気持ちを整理することは、
このような時代だからこそ大切だと思うのです。
現在の学校は教員が人手不足なのに学校のありようはほとんど変わらず、それに加えて教師に求められるものが多すぎる。
これでは、先生たちのゆとりはなくなり、疲弊し、課題のある子に目を向けることは益々難しい。
学校にゆとりがなく楽しい者でなくなれば、子ども達もゆとりはなくストレスはたまる一方です。
少子化なのに学校に行きたくない子が増えるのも必然です。
それに関して色々と思いを話し合ったのですが、そのことについてはまた別の日に書きたいと思います。
このお地蔵さんは、優しい表情ながら凛としています。
「彫刻は自刻像なんだよ」と、私の中学く時代の担任である彫刻家の恩師が言っていました。
人を癒し励まそうとしながらも凛として立つ姿は、きっとAちゃんの心を表しているのだろうなと思います。
最初にあった頃のAちゃんも、自分の意志をしっかり持っているように感じられる少女でした。
その姿勢のまま、自分の道をまっすぐ歩いてくださいね。
