不登校(登校拒否)について考え始めて31年が経つ。
それは、阪神淡路大震災があった日(1995年(平成7年)1月17日)のことだ。
当時、長男が神戸市内の大学に在学中で、あの震災に遭遇した。
その時、長男の安否を心配して色々な人から電話があった。
しばらく連絡をしていなかった本州に住む妹と、愛知県にすむ高校時代からの友人からも電話が来た。
息子の様子を伝えてから、お互いに元気かどうかを話した時、
それぞれの息子(どちらも小学三年生)が学校に行けなくなっていることを知った。
「登校拒否」という言葉が時々メディアに取り上げられている頃だっただろうか。
それまでは私も、まったく他人事だと思っていたので、本当に驚いた。
何のアドバイスをできるわけもなく、多分「それは心配だね…」などと話して終わったのではないだろうか。
甥と友人の子どものことであるから、私はあわてて図書館に行ったと思う。
そして、登校拒否関連の本を何冊も借りてきて読み始めたのが、私が不登校に関わるスタートだった。
それから色々と考えたり不登校のお母さんと出会ったりして、未来の会がスタートした。
世話人として20年、その後は後方支援として多少関わっているのだけれど、
今、学校に行っていないお子さんを持つ保護者に何を伝えたいいのかと迷う。
夏休み期間中なので、このブログにも何か書きたいと思うのだが、戸惑いが続いている。
ちなみに、当時学校に行けない状態だった甥や友人の息子は、結局大学進学してから就職し、
結婚して父親となり、元気に暮らしているようだ。
途中経過の中ではやはり色々あったけれど、私から見たら家族の見守りの中で本人が頑張ったのだと思っている。
未来の会で出会った親や子ども達のその後は、知っている人もいるしわからない人もいる。
みんな元気で暮らしていてほしいと思うが、客観的には残念な結果になった人ももちろんいる。
でも、それは不登校だったかどうかよりは、別の要因によるものが大きいと感じている。
考えてみたら、今の私が子育て中の人達に言えるのは、当たり前のことでしかない。
〇困ったことがあっても自分で抱え込まずに誰かに話すこと。
〇同じような経験をしている人と話すこと。
〇心の元気が足りない時は、自分を傷つける人や場所とは無理に付き合わずに距離を置くこと。
〇子どもが色々な人と出会う機会を作ること。
〇子どもをできるだけ自然(動植物)と触れ合えるような機会をつくること。
〇子どもの好奇心ややる気の芽を摘まないこと。
それは、不登校かどうかは関係ない。
学校は、教育の一つの場所であるだけだし、無理やり行かせて子どもを追いつめて良いことは一つもない。
守らなくてはならないのは子どもの笑顔や食欲。
ご飯を美味しく食べることができて、家族が笑いあえる日々があれば、どんなことがあっても大丈夫。
私はそう信じている。