昨日の明け方、私が中学生の時に亡くなった祖父の夢をみた。
私が生まれ育った古い家の仏間の隣の和室で、布団の上に文机を置いて本を読んでいた。
私が声をかけると祖父が私を見て、静かな笑顔で何か返事をしたようだった。
その部屋は、祖父が最初に脳卒中で倒れて寝ていた場所だった。
祖父は私が小学校に入る前に倒れたはずなので、元気な姿は記憶にない。
半身麻痺と顔面にも麻痺があったせいか、はっきりと話せなくなった祖父しか知らないのだ。
その時の祖父はまだ五十代だったはずだ。
記憶に残る祖父は最初から体が不自由なおじいちゃんだったから、ずいぶんな年寄りだと思っていたが、
大人になってから「まだ若かったんだな」と可哀そうに思ったものだ。

祖父は、地主と農業の仕事をしながら通信教育で教師の資格を取ったと聞いている。
それがどういうことかよくわかってはいなかったが、きっともっと勉強したいと思っていたのだろう。
結局はその資格は生かせず戦中戦後に入り、戦後は農地解放で多くの土地を失い、
父が復員して結婚しこれからと希望を抱いた頃に叔父が自死した。
祖父の世代は多くがそうだと思うけれど、時代や政治に振り回され、思い通りにならない人生だったと思う。
初孫の私をとても可愛がってくれたそうだが、残念ながらその記憶もほとんどなく、
覚えているのは私が家に居る時には、さほどの用もないのに「オーイ、オーイ」と私を呼んだことだ。
そのたびに私は枕元に行って、水を飲ませたり布団を直したりしていたと思うが、
ある時面倒くさくなって「おじいちゃん、用事はまとめて言ってよ」と言ったことがある。
その時の悲しそうな顔が忘れられない。
今となってよくわかる。
祖父は寂しかったのだ。私の顔を見ていたかったのだ。
不自由ではあってもボケてはいなかったと思うので、どれだけ自分が情けなく悲しい思いをしていただろうか。
子どもであった私はそんなことは想像もできず、そればかりか家族みんなが祖父を心の中ではやっかいな存在と思っていたと思う。
祖父の両親も脳卒中で倒れていたので、妻である祖母は三人目の介護だったから、
祖父を邪険に扱っていた記憶もないが、さほど優しくしていた記憶もない。
年齢を重ね、少しは障碍を持つ人達や家族などへの知識を持つようになった私は、
何かにつけて祖父の姿を思い出し、申し訳なかったな、可哀そうだったなと思うばかりだった。

(ひょっとしたら、そんなことが私を福祉の仕事に導いたのかもしれない)

前日に、金沢と能登半島への旅行から帰った長男家族がやってきて、
父のルーツの越前の漆器のことや、祖父が建てた納屋の移築のことなどなどを話す機会があり、
北海道に渡ってきた曾祖父や祖父のこと、ルーツの鯖江市のことを思い出したから、
夢に祖父が出てきたのだと思う。
夢の中の祖父は穏やかで優しい笑顔を見せてくれた。
本を読んでいる姿に、「おじいちゃん、体が不自由になっても本を読んでいるの偉いな」と思っていた。
祖父が本を読んでいる姿は記憶にないのだが、新聞は読んでいたような気がする。
どんなことに興味があったのか、どんな話を私としたかったのか、
夢の中の祖父でいいからもっと話してみたいと思う。