安居 長敏さんのFacebookで、下記の記事を読みました。とても共感しましたので、転載させていただきます。

 

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  日本の総人口は2008年の約1億2800万人をピークに減少を続け、2025年8月時点で1億2326万8千人となりました。出生数は、2025年に66万8千人程度と過去最低を更新し、子どもの数は想像以上の速さで減っています。

 また、65歳以上の高齢者はすでに全体の約29.4%を占め(2025年推計)、2030年を待たずに3割を超える見込みです。

 支える側が減り、支えられる側が増える社会構造は、もはや前提条件になっています。

 さらにここ数年で生成AIが急速に広がり、知識の整理や要約、分析は瞬時にできる時代になりました。「覚えていること」や「正解を速く出すこと」の意味は、確実に変わり始めています。

 私たち大人は、こうした状況を前にして「時代が変わった」と口にします。しかし子どもたちにとっては、これが“変化後の世界”ではなく、最初からこの世界です。懐かしむ過去も、戻りたい前提も持っていません。

 

 私たち大人の中には、どこかにノスタルジーがあります。「昔はこうだった」「あの頃のほうが分かりやすかった」と思う気持ちは自然なものです。ただ、その感情が変化そのものを否定する空気になっていないかは、立ち止まって考えてみる必要があります。

 人口が減る社会で育ち、AIが当たり前に存在する環境で学ぶ子どもたちにとって、その現実の中で必要なのは、過去を守る力ではなく、これからを構想する力です。予測する力よりも、問いを立て、自ら動き出す力がより重要になっています。

 私は、学校はその土台をつくる場所であってほしいと考えています。もちろん安全は大切ですが、失敗を避けることを最優先にすると挑戦の回数は減り、自分で決める経験も減っていきます。主体性は理念ではなく、経験の中で育つものだからです。

 ニューヨークの街角に黒板を置き、「あなたの人生で一番後悔していることは何ですか?」と問いかけた動画があります。これまで講演で何度も紹介してきましたが、そこに並んでいたのは失敗ではなく、“やらなかったこと”でした。I did not try. I didn’t say it. I didn’t choose。挑戦しなかったことへの後悔が静かに書かれていました。

 当時も心に残るものでしたが、いま思い返すと以前より強く胸に響きます。変化を前にして迷うのは私たち大人であって、子どもたちはその世界を前提に生きていくのだと、あらためて感じるからです。

 私たちは往々にして、「できなかった」ことよりも「やらなかった」ことを後悔するようです。だから教育の役割は、知識を増やすこと以上に、この“not”を外せるようにすることではないでしょうか。

 スポーツの世界では、「打たなかったシュートは100%外れる」という言葉があります。挑戦しなければ、成功の可能性そのものが生まれないという、ごく単純な事実です。

 幼稚園の子どもは、怖がる前に言います。「ぼく、やる」「もっかいやる」「だって、やりたいもん」と。できるかどうかよりも、やってみたい気持ちが先に立ち、失敗しても「つぎはできる」と自然に言います。そこにはまだ、「どうせ無理」という前提がありません。

 変化を嘆き続けるのか、それとも変化の中で育つ環境をつくるのか。その分岐点に立っているのは子どもたちではなく、私たち大人です。

 私は、あの「もっかいやる」と言える力を、教育の中心に置きたいと思っています。

 けれど、それは簡単な話ではありません。挑戦を本気で支えるということは、失敗を受け止めるということです。遠回りを許すということでもあり、結果がすぐに出ない時間に耐えるということでもあります。

 大人は正解を持っている存在ではなく、問いを抱え続ける存在でありたいと思います。子どもたちに向き合いながら、ときに迷い、ときに修正しながらも、思考を止めない。その姿勢なしに、「挑戦しなさい」と言うことはできないように思うからです。

 子どもたちは未熟なのではなく、未完の存在です。そして私たち大人もまた、完成した存在ではありません。だからこそ、上下ではなく協働です。教えるだけでなく、ともに創る。

 その緊張を引き受けたとき、子どもたちは安心して挑戦できるのだと思います。