私達の活動している恵庭市は、現在は「花の街(ガーデンシティ)」「読書の町」などと言われるようになりました。
昨年は「ガーデンフェスタ北海道2022」が恵庭市で開催され、全国から多くの人達が恵庭を訪れてくれました。
昨日は、恵庭の花の街づくりの立役者と言われている内倉真裕美さんの短編ドキュメンタリーを、
恵庭の映像作家山田裕一郎さんが制作し、昨日全国の人達に見てもらえるようになりました。
「奇跡のまちづくり」ガーデニングの聖地・恵庭を生んだ1人の主婦の挑戦
私はこのお二人を存じ上げているので、このようなドキュメンタリーになったことがとても嬉しいし、ぜひ多くの人達に見ていただきたいと思います。
今日、私が書きたいことは、題名の「奇跡のまちづくり」が決して奇跡ということではないのだということです。
このような素晴らしい花が咲くまでには、内倉さんが恵み野でガーデンシティを目指し始める以前からのこの町の歴史や土壌があり、そこに内倉さんやその仲間たちが種を蒔き続け、育み続けたということを感じているからです。
恵庭市はかつて、純粋な農村地帯でした。
明治期から全国各地からの開拓者が耕し続けた時で、米作・畑作・酪農を中心とした地域だったと思います。
私の曾祖父も開拓者の端くれでしたので、私は曾祖父から数えて4代目の恵庭人です。
開拓時代からのみんなで助け合いながら生きる姿勢は、私の幼少期にも感じる場面は多々ありました。
戦後、新しい民主主義の時代となり教育制度も変化し、やがて恵庭には自衛隊駐屯地が作られ、
全国から新しい地域からの住民が住むようになりました。
さて、ここからが本題です。
現在の恵庭北高校は、かつては全日定時制の農業高校でした。
農業も近代化と共に変化し続け、専門的な農業経営や技術を学ばなければならなくなり、
農家の後継ぎはみんな恵庭北高校など農業高校で学びました。
その卒業生の一人が藤井哲夫氏で、農業が出来ない冬期間に出稼ぎに行かなくてもいい農業をと、
冬でもハウスでできる「花苗づくり」を手掛けるようになりました。
その経緯については、藤井さんが始めた「サン・ガーデン」の説明を読んで見てください。
私は藤井さんの家の近くで生まれ育ちましたので、幼い頃からそのような話を多少は見聞きして育ちました。
やがて花の苗づくりが軌道に乗るまでには、周辺の農家の女性たちも協力するようになったことが大きいでしょう。
「哲ちゃん(私の親世代は、誰もが藤井さんをそう呼んでいた)たちの苗で家に花壇を作ろう」と、
農協婦人部メンバーが中心になって、各家庭で花壇づくりがはじめられたのです。
それまでは過酷な農作業に明け暮れていただけの農家のお嫁さん達は、
小さな花壇を作り、その花たちに癒され元気をもらったのでしょう。
私の母なども夢中になって、農作業の合間に庭に花壇を作っていました。
やがて、恵庭市に移住した秋田県人会の人達が「恵庭を花でいっぱいにしよう」と地域に花壇づくりをはじめ、
それらの人達の思いが合わさって「花いっぱい文化協会」ができました。
数人の青年達が花の苗づくりという種を蒔き、それが恵庭各地に花壇の種を蒔くことになり、
その土壌の循環が恵庭の花卉栽培の成功から、現在のガーデンシティにつながっているのです。
内倉さんたちが、新しい住宅地を子ども達が誇れる故郷にしようと取り組んだ時、
それまでの花づくり・花壇づくりに取り組んでいた人達が喜ばないはずはありません。
花卉栽培をしていた藤井さんたちにとっては、もちろん営業的な思惑がなかったとは言いませんが、
それ以上に、自分たちの作った花で故郷を素敵な街にできるという喜びが強かったはずです。
私が知る限り、藤井さんご夫婦は損得抜きに、
次に育ってきている新しい人たちや意欲という種や花たちを
全力で応援しようとする信念があったように感じてきました。
きっと、お金も知恵も力も惜しみなく提供していたのではないかと思います。
(ちなみに、このドキュメンタリーに登場する土谷美紀さんは、藤井哲夫さんの娘さんです)
内倉さんの強い思いや人を巻き込む力が、今のガーデンシティを形成したことは疑いようがありません。
しかし、きっとその活動を陰で支えたり応援してきた人は、とても多いと思うのです。
時には批判されやすい「行政」ですが、恵庭市の行政マンには素晴らしい人たちも多かったと思います。
市民の願いや要望に簡単に答えてくれることはあまりないですが、
一緒に考えたり、力になってくれそうな人を紹介したり、
補助金制度の利用を手伝ってくれたりと、市民を支え一緒に働きたい人たちは多いのです。
私は時として行政に対して批判的なことを言うことも多いのですが、
それは行政マンに一緒に頑張ってほしいからなのです。
今まで、時にはガックリすることもありましたが、助けられたことだって多かったのです。
(市民は、行政マンに協力してもらって当然と思う傾向があり、
あまり褒めたり感謝しない傾向があります。
人は褒めてもらってこそ次の意欲が湧くのにね。私もちょっと反省)
私のふるさと恵庭には、今もそのような気風があると思っています。
新しくスタートしたフリースクールひとのわも、私達が続けてきた未来の会も、
恵庭の長年培われた土壌に撒かれた種であり、その種はきっとささやかな花や実をつけ、
時には綿毛になって違う地域に飛んでゆき、新しい種になって育っているはずです。
一つの「奇跡のように見える事柄」は、決して奇跡でも偶然でもないように私は思えるのです。
ただの奇跡であったなら、それはそこで完結してしまいます。
奇跡に見えるようなことを辛抱してつなげ続けていくことが、とても大変なことだけど人間社会には本当に大切なことです。
このドキュメンタリーを見て、そんなことを考えています。