函館アカシア会の野村さんから、不登校新聞の下記の記事を教えていただきました。

みなさんは、どうお考えでしょうか。

 

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「不登校という言葉はもうやめよう」だって差別用語だから

  

  

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2018年07月31日 14:59 by kito-shin



 「不登校という言葉は最悪だ」。そう語るのはPN喜久井ヤシンさん。自身の経験を「不登校」という言葉で語りたくないという喜久井さんに、思いを書いていただいた。

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 私は『不登校新聞』のど真ん中で訴えよう、「不登校」なんて言葉は最悪だ、と。

 まず「不」とは何事か。ガッコウに行かないこと、行けないことについて何十年も議論しているというのに、いまだに「登校の否定」によってしか語れないなんてどうかしている。もしも日本語で女性のことを「不男性」、LGBTを「不異性愛」、在日コリアンを「不日本人」などと呼んでいたら差別だろう。なのになぜ「不登校」はありなのか。そして便宜上必要だったとはいえ、「不登校」という言葉が、なぜ法律にも位置づけられてしまったのか。

 この言葉の最大の欠点は、何十年と続いている社会問題が、子ども個人のせいであるかのように語られてしまうことだ。「学校恐怖症」や「登校拒否」などとも言われてきたが、この問題は社会全体の病理であり、個人の「不登校」が語られたところで改善していかない。「君が不登校になった原因は?」なんて愚問が子どもに向かってあと百年くり返されても、社会全体の「不登校」問題は変わらない。

 「聾」のように「癩」のように「白痴」のように、「不登校」という語にこびりついた被差別の血の痕が見えないだろうか。私は旧世紀の差別語のように、この言葉を歴史上の遺物へと追いやりたい。

ジェンダーでは多様な言葉が

 それとも一度、世に普及した言葉は変えようのない、当事者たちの選びようのないものだと信じているのだろうか? だとしたらまちがいだ。言葉はそんなものではない。

 

 たとえばジェンダーに関する議論では、語彙の百花繚乱となっている。私自身が「ゲイ」にあてはまるのでくわしい分野なのだが、もし「LGBT」が「不異性愛者」という言葉でしか語れなかったなら、「LGBT」の情報は現在ほど広まっていなかっただろう。私のセクシュアリティにあてはまる言葉は、蔑称を含め「ホモ」「オカマ」「若気」「男色」「バラ族」「MSM」「ゲイ」「G」「同性愛」「ホモセクシャル」「「性的少数者」「性的マイノリティ」「セクシャルマイノリティ」「セクマイ」「クィア」「LGBT」、議論としては「SOGI」などがある。言葉は生きている。変えていくことは可能だ。

 ひるがえって、ガッコウに行かない子どもを指すバリエーションは現在いくつある? 「不登校」……ほかには? まさかこれだけ? 私は、こんな言葉ひとつで的確に語ることができるとは思えない。

新語をつくり社会の問題へ

 私には喫緊に新語が必要だと思われる。子どもとガッコウとの関係を、社会全体の問題に限定して語るための言葉だ。どこかの外国語から翻訳を持ってくるとか、造語で「教育マイノリティ」とか「オルタナティブ・エデュケーション・チルドレン(AEC)」とか、「公教育集団」に対して「私教育集団」とかはどうか。

 もしくは、被差別部落と同様にいっそ「被差別児童」と呼んでみてはどうか。「あなたはなぜ、被差別部落になったの?」という問いかけに違和感があるように、「なぜ、被差別児童になったの?」という問いに違和感をもたらし、質問者の口先を黙りこませるだろう。学校の問題とは個人問題ではなく社会問題であり、問題視する側の問題であることをはっきりさせる。

 何も文科省や国が動いて「不登校」という言葉を変えなくてもいい。一人ひとりが勝手に「不登校」を嫌がって、勝手に新語を使いだしたらいいのだ。私は「登校拒否」が「不登校」へと変わった歴史的転換の熱量が、もう一度、この平成終焉の時代に変革を起こすことを希求する。言葉まであきらめさせるな。手始めに私はひとりでも「不登校」の言葉を嫌い、憎み、憤激する。そして、私はこの言葉を生涯かけて呪う。

 

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確かに、言葉から受ける印象は重要な部分があります。

ただ、言葉はそれを使う人たちの意識によって、プラスにもマイナスにもなり得ます。

プラスイメージの適切な造語もありだとは思いますが、私のような高齢者になると、

横文字や略語ではストンと理解できません。

(学校に行かないことにマイナスイメージを持ちやすい世代です)

現在の日本に、差別用語がどのくらいあるかわかりませんが、

女性の私から見たら、若い頃から「女だから」とどれだけ言われてきたことでしょう。

「男」も「女」も、性を区別するための言葉で差別用語ではありませんが、使われようによっては差別とも感じます。

 

ただ、「不登校」の言葉でくくられることに強い差別感を抱き、その言葉を忌み嫌う子どもや若者が多いのも事実でしょうから、プラスイメージで在宅できる言葉が見つかればいいとは思います。

ただ、そんな言葉が見つかったとしても、学校に行かないことを良しとしない人たちが多ければ何も変わらないような気がします。

この記事が書かれたのは、2018年でした。
さて、現在の彼は新語を見つけたのでしょうか。

みなさんはどうお考えになりますか?