こんにちは。
星読みナース結月です。
今日は改めての自己紹介。
わたしの紆余曲折なカラフル人生ナース編。
看護師を目指すきっかけ〜
病院を退職するまでの道のりを
音声で自己開示しています。
1.5倍速でも聞き取れます!
何かの合間に聴き流してくださいませ。
文章ではこちら
↓↓↓
改めての自己紹介。
看護師の資格をとって20年。
臨床現場では、急性期総合病院に17年勤めた。
2019年3月末で退職し、
現在はフリーランス4年目突入。
暮らしを整えるライフオーガナイザー®︎
お客さまのお宅訪問し片づけサポート
暮らしを整えるセミナー、
病院や看護協会で看護師向けの研修など。
西洋占星術、数秘術を用いたセッション
占星術講座など。個人で活動。
看護師としては、現在介護学校の講師。
看護師になろうと思ったきっかけは、中学1年の時。
テレビドラマの影響。訪問看護師に憧れた。
川島みどりさんの「看護婦になるには」という本に出会う。
「白衣の天使」というキラキラネーミングの憧れだけはなく、
看護師の仕事の重さ、大変さも現実的に知る。
なぜか「大変そうな道」を自ら進んで挑戦していく癖があり、
大変だと知れば知るほど、やってみたいという思いが強くなり、
看護師を目指すようになったのかも。
看護学校に入学するまでも、紆余曲折があり。
数学、理系が絶望レベルで苦手。
数学から逃げる思いで、高校3年のクラス希望では
看護クラス希望をやめ、私立文系クラスを選択。
この時点で看護学校受験を諦めた。
だけど
10月くらいに受験勉強が進む中で、
やっぱり看護師になりたいという
気持ちが抑え切れずになり、ここから方向転換。
看護学校受験を目指す。
当時の担任の先生もびっくり。
高校3年で数学の授業がない生活を送っていたけど、
看護学校の入試には数学も生物もある。
ここから数学や生物の復習と学び直しを始めた。
浪人覚悟でいどんだ看護学校受験。
当時看護学校はどこも倍率が高く、看護師になるより、
看護学校に入学する方がハードルが高い時代だった。
看護学校に無事入学、が、夏には退学。
19歳でフリーターに。生活はどんどん荒れる。
20歳で看護助手として、整形外科クリニックに就職。
1年ほど看護助手として勤務。
ここで資格の壁にぶち当たる。
どれだけやりたくても資格がないとできないことがあり、
もう一度看護学校を目指す。
働きながら苦手な数学を学び直し、21歳で看護学校入学。
定時制の4年制。
午前中病院で働き、午後から学校。夕方はバイト。の日々。
学べることが楽しくて仕方なかった。
充実した4年間。
25歳で正看護師へ。
公立病院就職。
看護師1年目の秋に結婚。
環境が一度に変わった激動の年。
1年目で精神科病棟配属。
衝撃の世界。3年ちょっと精神科病棟を経験。
自分が生まれる前からずっと病院に入院している人々。
精神科訪問看護も経験。退院して自宅へ戻る瞬間に立ち会う。
ここで今のベースとなる看護観が形成。
どんな想定外のことでも、必ず意味のある出来事。
自分にとってこの経験は必然だった。
その後、消化器内科病棟10ヶ月。
1人目の産休・育休後、婦人科外来1年。
2人目の産休・育休後、内科外来4年。
ここで救急外来、救急、急変対応に目覚め、
ICLS、ISLS、JPTEC、JNTEC、BLS、ACLS学ぶ。
ICLS、JPTECはインストラクターに。
消防、救命救急士さんなど他職種の方たちと交流を深める。
(※ICSL…突然の心停止に対する最初の10分間のチーム蘇生
※JPTEC…外傷病院前救護)
脳神経外科、整形外科、形成外科病棟7年。
看護学生指導や新人看護師指導などの人材育成に携わる。
育てること、伝えることが好き、
面倒見が良いという自分の資質に気づく。
退職後講師の道へ。
振り返ってみて、大変なことがいっぱいあったけど、
どれも何一つ取りこぼしなく必要な経験で、
宝で、これからの糧になる。
根底は人間が好き。
人を真ん中に置いて、
その人がその人らしく生きていくための
お手伝いがしたい。
自分に優しく、人に優しく、
そして自分の心に素直に
生きていきたい。