生きる道しるべ③ | PADME

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人生を豊かに

遮るものはない

 

 日本には道のつく様々なお稽古事、習い事があります。茶道・華道・書道或いは柔道・剣道等何事も見様見真似で始まり、回数を重ねて行くうちにやがて身に付き、頭で考えずとも作法に則り所作を行ずる事が出来ます。柔道・剣道においては、勝敗のみならず、相手を敬い有名な選手や先輩の様になりたいと憧れて真似をします。仏道に励むには、審らかに丁寧に真似をする事から始まります。学ぶという言葉は真似ぶ、真似る、真似をするという言葉が語源です。

 

 信仰という言葉を繙くと、経験や知識を超えた存在を信頼し、自己を委ねる自覚的な態度とあります。お釈迦様は、私たちと同じ様に人として生まれ、苦しみを持たれていました。人は何故苦しむのだろうか。生老病死の苦しみからの解放を求め、何不自由のない王子の暮らしを捨てて出家されます。それから6年間難行苦行を積まれますが問題解決には至りません。悟りの内容は幾つかありますが、この世の全てのものは移り変わりゆく無常の理(ことわり)だと。

 

 そして苦しみから免れる生き方を示されました。私たちの心は貧(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)といった自我に支配されています。満たされぬ心、何でも思い通りにしようとする心が自分自身を苦しめている、無常の世の中と知りながら健康な状態、幸せな状態が何時までも続くと勘違いをしています。自分にはそのまさかが来ない、死を忘れると生がぼやけて来る、死を捉えて生を明らかにする、つまりは死を見つめるとどう生きるべきかが見えて来ます。

 

 無常を感じ、無我に目覚め、お釈迦様の様になりたいと憧れ真似をする、それが人間の理想像であり、私達の生きる道しるべであります。仏道を学ぶ事は、生活の軌道修正となり、その生き方が尊いものとなります。白隠禅師は、此の身即ち仏なり(迷いや悩みのある自分自身が仏なのだ)と説きました。人を大切にし、人に感謝し、成すべき事を成し、成さぬべき事は成さない様生活する。当たり前に大切な事を、当たり前に大切にして生きていく。ただそれだけです。

 

 禅では、目の前の事に幸せを求めて行く事が大切であると教えています。心において滞るところの無い仏の姿を、共に少しずつでも実践して行きましょう。

 

萬善寺