切ないアレルギーのお話。 | *ここちいい暮らし*

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自分の”好き”を大事に・・・

娘の発疹が出ている顔を見ていると


やはり、アレルギー体質かもと思わずにはいられず


だって私がそうですもの。


そう考えると切ない子供の頃を思い出す私。


今日は、ちょっと昔話させてね。




アレルギー体質で


小さい頃は


気管支喘息で入退院を繰り返し


父親が言うには


「この子は二十歳まで生きられないと思った」


と思わされるまで


ひどく


病弱な子供だったのよ。私。


今は、そんな事微塵も感じさせないくらい


たくましい母&体型なんだけど。


でもさ、


アレルギーって


原因がはっきり分かる場合とそうじゃない場合があるのよね。


これだーーー!!って目立つ反応があると


いいんだけど


私の場合


イマイチ原因が分からなかったのよ。


多分、卵とハウスダストかなぁ


ぐらいの判断だったと思う。



で、その当時私たち親子は


父方の祖父母と同居していたのよ。



他聞にもれず


嫁姑問題が勃発しまくっていて。


体の弱い私を


祖母は


恥ずかしいと思ったのよ。


母が一生懸命


アレルギー除去食とか作るんだけど


それに対しても


あーだこーだと


文句を言ってくる姑。


そんな甘やかすから


いつまでたっても


この子は弱いままなんだ。と


精神論で勝負してくる訳。


病気をするのは


気合が足りない証拠だ。


甘やかして育てるからそんな風になるんだ


弱いのは恥ずかしい。近所の人目にも悪い。


等など。


本当に血がつながっているのかと


疑いたくなるほどの


暴言の数々・・・。


それでも、母は耐えたよ。


偉いと思うよ。


私は1日でも一緒に暮らすの嫌だと思うよ。


結果10年は耐えたよ。母。


でも、その後


出たけどね。こんなトコでまともに子育てできるかーーって


離婚覚悟で出ようとしたら


父親も一緒に出てきたみたい。


でも、それに到るまで


母とは切ない思い出が目白押し。




学校帰り家に着くと


母が出かける準備している。


さっ、行くよ!


えっ?どこに?なんて聞く暇が無く


自転車の後ろに乗せられ


物凄い勢いで


無言で


自転車こいでいる


母。


なんとなく


何も聞けない私。



暫くして


ふと自転車を止め


母が言った衝撃的な言葉


「お母さんと、一緒に死のうか?」





なんていったら言いか分からない


けどけど


死にたくない!!


って直感で思って


母に訴えた。


母は


「冗談だよ。あはは」


って笑ったけど


冗談



なわけない。


私も気付かないフリをして


にっこり笑うのが精一杯。


この事は


今でも、母と


笑い話にして話すけど


かなり、母


切羽詰ってたよね。


ちょっとアレルギーから話が膨らんでいるけど


長くなったから


つづく・・・。(続けるのかよーー)