先日、ある人への感情について
セルフワークをしてみました。

長年抱いていたわだかまりを
ずっと放置してきて、それが
体の不調に関係していると知ったので、
そろそろ向き合うタイミングと、
心を決めたのでした。

正直、その人については
関心が薄いと思っていたのですが、
存在感を自分の中で消していた
のかもしれません。

だから、あまりまともに向き合う
気にもならなかったのですね。

その人は昔から自分勝手なところ
があって、どうしてそんな言動が
できてしまうのだろう?と
すごく傷つくこともあったし、
苛立つことも多くありました。

本質的には悪い人ではなかった
と思うし、気遣いができない人
ではなかったけれど、私にはあまり
そういう側面の印象は少なかったです。

今回のワークは体の痛みから入ったのですが、
じっとその痛みを感じていると、
その人に対して不信感全開の怒りが
浮上してきました。

人が目の前で大変な思いをしていても、
自分の都合優先で、さっさと
出かけて行ってしまったり、

自分の責任の仕事なのに、
絶対にやりたくないことは
全く関係のない私に押し付けて
逃げてしまうとか、

ここまで無責任になれるのかな、
と思うようなことがいくつも
ありました。

もう何十年も昔の話なのに、
体の中には忘れていた感情のエネルギーが
しっかり生きていて、こんなにも
鮮やかに記憶がよみがえってくるんですね。

ひとしきり、自分の中の怒りや悔しさなどを
受け止めた後、相手の意識の中に入って
どういう料簡でそういう言動になるのか
と確かめてみました。

すると、普段自分はみんなのために
犠牲になって働いているのだから、
少しくらい楽をしたり、いい思いをするのは
当然の権利だ、という意識が読み取れました。

犠牲になっている、というのは、
自分一人が辛い仕事を引き受けて、
その間に、みんなは自分の苦労も知らず、
労いもせず、笑って過ごしている。

それがすごく理不尽で見捨てられたような
気持ちになり、自分だけが割を食っている
みたいな気持ちになっているようでした。

その感情に触れて、
だからあんな態度を取れるのか、
とすごく納得がいったのですが、

でも一方で、人にやってもらったこと
についてはあまり感謝とかはなさそうな、
やってもらって当たり前みたいな
料簡の狭さも感じました。

自分だけが貧乏くじを引いている
かのように感じてしまうこの感覚には、
さらにまた奥があって、

どうやっても認めてもらえないとか、
愛情を欲しい人に振り向いてもらえない
といったような渇望があるようにも
感じました。

何をどれだけやっても報われない
虚しさみたいなものが、ベースに
あるのかもしれません。

そこまで読み取れて、
自分自身を振り返ってみると、
自分の苦労を誰も顧みない、
自分だけが貧乏くじを引いている
理不尽な感覚は、確かに私の中にも
あるな、と思いました。

報われない虚しさも、
普段はそれほど浮上する感情では
ないのですが、良~く見ていけば、
蓋をしていた感情でもありました。

鏡の法則を通してみて見れば、
自分の努力に関心を持たず、
顧みていないのは私自身で、

気持ちのカケラ君たちは、
そんな私の態度に傷つき、
失望してしまったのでしょう。

本当に認めてほしかった、
気持ちを向けてほしかったのは、
他の誰でもなく、自分自身
だったわけです。

自分に対して、
すごくぞんざいな扱いをしてきてしまった
と、申し訳なかったですね。

そのあたりの感情を統合し、
自身への態度を改めたところで
再びビジョンの中のその人を
見てみると、

かつてのような自分勝手な態度ではなく、
優しい気持ちで周囲に接している
姿に変化していました。

その人の数々のエピソードの一部は
大分解けてきたのですが、まだ色々
残っているところはありそうなので、
引き続き見ていこうと思います。



 

 

 

 

 

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