よく、心を静めること、
思考のない状態が大事だと言われます。

深い目覚めた意識のマスター
レナード・ジェイコブソンの教えも、
プレゼンス、まさにその状態
についての教えです。

それがなぜ大事だと、
古今東西で伝えられてきたのか、
これまでわかったようでいて
分かっていなかったな、
という気づきがありました。

すごく当り前で何を今さら、
というくらいの気づきなのですが、

心が騒がしいと、
大事なサインを見落とす、
受け取れないということと、

すごく人間的なたとえで言うと、
叡智の側からしても、
声がかけづらい、みたいな
感じがあるのかな、と思いました。

日常が忙しいと、
自分的には何かしらやった気になり、
その内容がどうであれ、満足感が
得られたりします。

けれど、自分のことで頭が一杯で
忙しい人に、奥深い叡智が
降りてくる(感応する)かというと、
なかなかそれはなさそうに思います。

大事な話があるのに
別の人と楽しくおしゃべりしてたり、
忙しい人に声をかけるのは、
ちょっと気が引けてしまいますものね。

いや、後でいいんだ。。。
みたいに。

まぁ、宇宙の叡智がそんなに
人間的なのかどうかはさておき、
自分的になんだかとても
腑に落ちてしまったので、
書いてみました。

もちろん、ただボーっとしてればいい
というものでもないでしょうし、
何かそれを感得するような要素を
積み重ねているのは大事だとは思います。

そういうベースが整って
心が静かな状態の時に、
何かが発動し、展開していくのですよね。

その状態こそが、
自分が本来持っている命のプログラムが
何者にも邪魔されずに発動していっている
状態なのでしょう。

頭でこねくり回すような動き方ではなく、
もっと奥深い、大きな力が動いていく
働きです。

レナードはそれを
あなたの中の巨人が目覚めてくる
という表現をしていますが、
人は、その巨人が働くような在り方を
していくのが本来なのだろうと思います。

宇宙の叡智とともに生きるのが
人の本来であるならば、
それと切り離されて生きることの、
何と惨めなことか。

惨めであることすら気づかぬように
なってしまっているのかもしれません。

心を静めて、叡智とともに生きている時、
人生を運ぶ動力源みたいなものが
切り替わります。

心が忙しなくガツガツ生きている時は、
自分の力ですべてを何とかしなくては!
と我力で頑張っています。

恐れに駆り立てられて動いている時は
どうしても後者の在り方になってしまい、
動いている割にはあまり成果が出ない
となりがちです。

ただ、
忙しなくスピーディーに動いているようで、
心は静寂なときは、叡智とともに在りますから、
表面的ではない、心の在り様のところが
どうなのか、という話になります。

私はよく、人生と対話するということを
書いていますが、別の言葉で言えば
宇宙の叡智に心を澄まして聞くこと
でもあります。

自身の存在の最も奥深く深くに
意識を向けて、その静寂を聞こうとする時、
心がノイズで一杯だったら聞けません。

だからひたすら、心を澄ますわけです。

そのようにして人生を運ぶ動力源が
切り替わっていく時、同時に
自分という存在の捉え方、認識が
変化していることに気づきます。

結局、自分が使っている力の領域、範囲が
自分という認識になっているので、

それが変化すれば、
自分の認識が変化するのも、
道理ではありますね。

我力が大きい人は、
それで何でもそこそこで来てしまうので、
逆に言えば、この動力源を切り替えていく
ことは難しいのかもしれません。

そのようにする必要性を
あまり感じられないのもあるだろうし、
そのパワフルな自分が変わってしまう
ことへの抵抗も大きいでしょうから。

我力の限界にぶつかるまでは、
自分のパワーで人生のリーラを
楽しむでしょう。

またそれもよし。

それぞれの段階で、
それぞれの創造を楽しんでいきましょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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