他人を嫉妬して色々と嫌がらせを
してくる人って、たまにいますね。

人が幸せになることが許せないとか、
みんな不幸になればいいと思っているとか。

そういう人は、
自分が幸せを感じられておらず、
また幸せになれるとも思ってないから
やるせない気持ちを持て余しているのでしょう。

そういう人が他者に向ける負のエネルギーを
見ていると、

そのエネルギーをそんなことに使わないで、
自分を幸せにするために使ったら
どんなにか良いだろうって思えるのですが、

なぜかそういう人は、その方向には
エネルギーを向けようとはしませんねぇ。

そして、自分が不幸なのは
誰かのせい、何かのせいなんだというところに
終始して、「自ら無力になることを選んで」いる。

けれど本人にはそういう自覚は皆無です。

確かに、気持ちが腐るような状況が
その人に起こったのかもしれません。

けれど、同じ出来事が起こったとして、
全ての人がその人と同じように腐るか
と言えばそうではありません。

みな、それぞれの背景の中で、
自分がどう在るかを決めるのですが、

試練の中で、徹底的にそれを自身の糧として
伸びていく人もいるし、

そこまで落ちないものの、突き抜けるまでは
いかないまま、引きずる人もいるし、

踏みとどまれずに、荒れすさんでいく人も
いるでしょう。

でも、どんな瞬間も、その人自身がどう在るかは
その人自身が決めています。

誰かのせいにするのかしないのか、
投げだして逃げるのか、
勇気を持って立ち向かい、
自身の尊厳を守るのか、
何も言わずに飲み込んで、
後で何かに当たるのか、などなど。

選択肢はないようで実はあったわけです。

けれども、他に道はないのか?
と問うことができなければ、
それを見つけることはできません。

ずるずるとネガティブな方向に
飲み込まれていく人は、
ある種、飲み込まれていくことに
心地よさを感じている、と見えることが
しばしばあります。

踏みとどまって、方向転換するのは
しんどいから、怒りに任せて振舞う行為に
自ら飲み込まれていくとか、
悲しみに飲み込まれていくことに
酔っているとか。

そう言われてみて、心当たりのある方、
結構いるのではないでしょうか。

この怒りの感情の責任は自分で取るべきだ
と頭では分かっているのだけれど、
でも今はこの人に怒りをぶつけたい
衝動を抑えたくない、とかね。

怒りを表現すること自体が悪いと
言っているわけではありませんよ。

ただ、八つ当たりは感情解放ワークの
視点から見ても、NG行為です。

他人に嫉妬することがやめられない人は、
もしそれを止めたいのであれば、
変に虚勢を張るのではなく、

自分がいま幸せを感じられていないこと、
そして、自分で自身を幸せにする
力がないと信じていることを
認めるところがスタートです。

その悲しみ、怒り、無力感などを
自分で持て余して、他人に八つ当たり
しているだけなんですね。

でも、それだけ人に負のエネルギーを
ぶつけることができるのですから、
同じ力を使ったら、もっと自分を
幸せにできるはずです。

力がないのではなく、
力の使い方、向け方が違うだけです。

ただ、そこを方向転換して
無力感などから脱却するには、
現状の自分を認めなければなりません。

そこをすっ飛ばして、
私には幸せになる力がある!と
アファメーションしても
あまりうまくいかないと思います。

どんな癒しも、真実を認め、受け入れることから
始まっていくと私は思っているのですが、
そこが外れていると、変容は起こりません。

感情解放のセッションをしていても、
ある事実について、本人が完全には受け入れていない
場合だと、いくらエネルギーをかけても、
受け入れていない部分には癒しが届かないんですね。

実は、その囚われこそが、その苦しみの
最たる原因であったりするので、完全な変容には
絶対に外せないところでもあるのです。

つまり、自分で自分を幸せにできないのは
その囚われのせいでもあるのですが、
それを責任転嫁しているときに、
妬みというのは起こるのかもしれません。

いずれにせよ、誰かに嫉妬している
というのは、エネルギーの使い方が
こじれています。

素直なエネルギーの使い方ができれば、
もっと幸せになれる可能性が開いていく
のですから、新しい選択肢の扉を
開いてみてはいかがでしょうか。




【お知らせ】*********

セッションなどのお問合せはこちらからどうぞ
お申込みフォーム

満月のオンライン瞑想会
7月5日(日) 17:00~20:00

正味5時間の解放ワーク「1day集中ディープクリアセッション」
特典付き期間限定価格で対面・遠隔ともに受付中!

詳細はホームページをご覧ください

過去記事の目次へ