気づきに立ち位置はない
純粋な気づき(いつもある)
ではなく
気づきの立ち位置がある場合(幻想)
はどうなるだろうか?
まず
身体が気づきの立ち位置である場合
物質が主体であり
経験される世界も物質として現れます
次に
自我信念(たんなる思考だけではなくて)
が気づきの主体である場合
世界はすべて心として現れます
次に
気づきの立ち位置が
意識である場合には
世界は意識として現れます
これを観照といいます
次に
気づきの立ち位置が枠である場合
世界はワクワクとして現れます
これが観照「者」です
そして気づきに立ち位置(ワク)が現れない場合
それは
いつもある純粋な気づきであり
いつもただ在るという平和です