2007-2008 シーズン FCバルセロナ | 風早のダークで恐ろしい終末論

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Barcelona Formation




2007-2008 Season & Goal Rank






2007-2008 Barcelona Record

2007年夏の移籍市場ではティエリ・アンリ、ガブリエル・ミリート、トゥーレ・ヤヤ、エリック・アビダルを獲得するも、2007-08シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後にライカールトは監督を退任した。

システムは4-3-3となっている。このシーズンも怪我人が多かった。エトーがガンペル杯で負傷し、アンリがその穴を埋める。しかし今度はアンリが腰痛で離脱することになる。ロナウジーニョも休みがちになり、イニエスタが代わりを務めた。左サイドはイニエスタとアンリが出場機会を得る事になる。ロナウジーニョ、エトー、メッシとアンリの4人は “ファンタスティック4” と呼ばれ注目されたが、怪我・不調もあり上手く機能しなかった。中盤では デコに怪我が多かったので、グジョンセンをMFへコンバート。シャビはこのシーズンも不動で 新加入ヤヤ・トゥーレが守備的MFを務めた。CBはミリートがプジョルとコンビを組んだ。左サイドバックはアビダルがレギュラーの座を掴み、シルビーニョが控えとなっている。

このシーズンはカンテラから ボージャンとジョバニ・ドスサントス がトップチームに昇格している。とりわけボージャンは目覚しい活躍を見せ、バルセロナサポーターの期待を集めた。ボージャンはこのシーズン 公式戦48試合出場 12ゴールを決めている。


Bojan Krkić

レアル・マドリーの強さが際立ったシーズンであったが、特筆すべきは2位につけたビジャレアルの躍進である。当時のビジャレアルにはゴディン、ピレス、トマソン、M・フェルナンデス、ニハト・カフヴェジといった選手が揃っており 若手とベテランが噛み合った最高のシーズンであった。中でも 21歳と若くレアル・マドリー戦で大活躍したM・フェルナンデスはビジャレアルサポーターから注目を集めた。



2007-2008 Villarreal

チャンピオンズリーグではグループリーグを4勝2分で首位通過。決勝トーナメント1回戦ではセルティックをホーム、アウェーの2戦共に下した。準々決勝でもシャルケをホーム、アウェーの2戦共に下す。しかし準決勝でマンチェスター・ユナイテッドを相手に1分1敗で敗退してしまう。最終的にマンチェスター・ユナイテッドがビッグイヤーを手にした。得点王、MVPは優勝チームのエースであるクリスティアーノ・ロナウドが選出された。クリスティアーノ・ロナウドはこの年のバロンドールも獲得し 名実共に世界最高の選手として認知される事になる。


Wayne Rooney & Cristiano Ronaldo



Champions League GL



Champions League 決勝T1回戦



Champions League 準々決勝



Champions League 準決勝



Champions League 決勝



Champions League Goal Rank




Bojan

ボージャンは幼少のころにバルセロナに入団し、カンテラの各カテゴリの得点記録を次々に塗り替え、若手有望株と期待された。特に2006年に昇格したセカンドチームであるバルセロナBではセンターフォワードのレギュラーポジションに定着し、22試合で10ゴールとオフェンスの中心を担う活躍をみせた。カンテラ通算7年間(1999年~2006年)で900点以上をあげた。この活躍が評価され、2007-08シーズンからはわずか16歳にしてトップチームへ昇格し、直後のプレシーズンマッチ第2戦のハーツ戦にて得点に絡む活躍を見せている。リーガ・エスパニョーラにデビューしたのは2007年9月16日のリーガ第3節CAオサスナ戦。17歳と18日という若さでのデビューとなった。また、その3日後の9月19日に行われたオリンピック・リヨン戦でUEFAチャンピオンズリーグのデビューを果たした。そして、それから1ヵ月後の10月20日、リーガ第8節ビジャレアル戦で得点を挙げ、クラブ最年少得点記録を更新した。この初ゴールのアシストは、それまでの記録保持者であるメッシである。ボージャンはラウル・ゴンサレスの9ゴールを抜きリーガ・エスパニョーラの新人記録を更新した。尚、デビュー時点ではスペインの労働法により18歳未満とはプロ契約を結べなかった為、バルセロナとプロ契約をしていなかった。その為、マンチェスター・ユナイテッド アーセナル チェルシーといったクラブがボージャンを獲得しようとしたが、本人はバルセロナを離れるつもりはないと明言し、18歳になった直後にバルセロナとプロ契約を結んだ。
バルセロナで順調に育ちつつあったボージャンであったが、レギュラー争いに勝ったとは言い切れず、途中出場がメインの起用法となっていた。当時のバルセロナにはメッシやエトー、アンリなど蒼々たるFWが所属していた為である。


Ronaldinho

ロナウジーニョは2008年2月3日のオサスナ戦に出場し バルセロナでの公式戦通算200試合出場を達成した。しかし、2007-08シーズンは負傷に苦しめられ、4月3日には右足の筋肉断裂により一足早くシーズンを終えた。同年5月19日、ラポルタ会長は「ロナウジーニョは新たなチャレンジを必要としている」と発言し、トップ選手としてやっていくためには移籍が必要であると主張した。6月6日、マンチェスター・シティのタクシン・シナワットオーナーはロナウジーニョの獲得に興味を示した。6月28日、ロナウジーニョとリオネル・メッシはベネズエラで開催された人種差別撲滅のための親善試合でそれぞれのチームのキャプテンを務め、試合は7-7の引き分けに終わった。ロナウジーニョは2得点2アシストを記録したが、この試合がバルセロナでの最後の試合となった。後年 ロナウジーニョは『バルセロナでの5年間が最高の時期であった』とする手紙を残している。

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