心にひっかかる嫌な体験は、思いだすと胸が痛み、早く忘れたいと思う。
でも、そこに大切なメッセージがある。ということがわかってきた。
体の症状でも、同じだ。病気や怪我や痛みは、体からのメッセージ。
とはいうものの、数年前から時々起こってくる神経痛のような左脚の痛み。
なんとかしたくて、早く楽になりたくて、色々試みているのに変化がない。
そこには、長年にわたるさまざまな想いが重なりあっているのかもしれない。
以前、友達の順子さんの「タッチドローイング」のワークを受けたことがある。
インクを塗ったボードの上に紙を重ね、感じるままに、手で描いてゆく。
順子さんのリードで10枚程描いたところで、それぞれの絵に題名をつけていくと、そこにその時の自にぴったりのストーリーとメッセージが現れてくる。
頭で考えてもわからない時は、こんな風にして自分の無意識にアクセスできるんだと感動した。
それで、そのための道具がないので、クレヨンで脚の痛みを絵に描いてみるという自己ワークをやったことがある。
始めは痛みをギザギザの線で描いて、その次に別な図柄がでてきて、と感じるままに何枚か描いていったら、最後に出てきたのが、「にこにこ顔の蛙の天使」の絵だった。「なんだこりゃ。」と思ったけどなんとなく腑におちた。
こういう自分を表現するといいのかなと思った。
脚の痛みは全然ない時もあって、忘れてしまいがちだったのが、今年に入ってから、その頻度と痛みが増してきた。
それで、体で感じていることと、そこに、どんな感情があるのか、どんな思考があるのかを、切り離して観ていくことで、そこにある信念に気づいてゆくというスキルを使って、自己ワークをやった。
左脚が痛いと、体はちぢこまり、呼吸も浅くなる。
いやだなぁ。またかぁ。治らないのかなぁと、不安になる。
何が原因なんだろう。早く治したい。でもどうすることもできないと思う。
そして、こういう感じって子供の時にも感じたことがあったな。と思いだす。
それは、自分の体の欠点、醜さを親から指摘されて、どうすることもできなかった子供の私の姿。
体は、胸がつまり、歯をくいしばり、首肩の後ろが緊張する。
絶望感、悲しみ、屈辱感、自己卑下の感情がある。
どうすることもできない。助けて。どうしたらいいのか教えてと思う。
そしてそこには、「私は自分を変えたいけど変えることができない。私は自分を救いたいけど救えない。」という思い込み(信念)があった。
(そんな信念なんていらない。と、心の中から取り出して手放す。)
「私が本当に欲しかったものは何なのか。」と問いかける。
「あるがままでいいんだよ。あなたは美しいんだよ。」と認めて欲しかった。
わずかな欠点だけをとりあげて、あなたはだめと全否定されたくなかった。
私がたくさん持っている素晴らしさを認めて欲しかった。
それは子供の私が欲しかったものだけど、その子供は今も私の心の奥にいて、
誰にも気づいてもらえない絶望感を感じながら、それを願っていたのだ。
そして今、それを私に与えてあげることができるのは私しかいないのだ。
「絶望感を感じないようにするために、首の後ろを緊張させる」という言葉が
思い浮かんだので、数日後、絶望感を感じる自己ワークを試みた。
絶望感を感じている時の体ってどんなかなと思った時、体に強い緊張感があり、
前で手をしばられて腕がねじれているような感じがした。
そして、そう感じた時に、まさに、手を縛られて、穴の底の牢屋に入れられている私のイメージが浮かんだ。
一人きりでどうすることもできない状態だ。
でも、その時、上から光が入ってくるのに気がついた。
(ここから後のストーリーは、なんとなく思いつくままなんだけど、自分でつくっているのかなとも思ったりしてよくわからない。)
穴の中に閉じ込められている私のところに、上からナイフのついたロープが降りてくる。
私は手首を縛られていたロープを切って、下ろされたロープを体に巻きつける。
誰かがひっぱりあげてくれて、最後は手を引いて外の世界に出してくれる。
自由な大地、青空。胸が広がる。解放感。自由自在だ。と感じる。
そして気づいたことが二つある。
穴の中に私を閉じ込めたのは私。とじこめられたのは私。助け出したのも私。
すべて私ということを知った。
そして、穴の中に居た時、そこは真っ暗ではなく、さほど嫌だというわけでは
なく、慣れ親しんだ感じがあったということだ。
このまま変わらなくても、ま、いいか。みたいな。うすら明るいよどんだ感じ。
その感じに心当たりがあった。
疲れやすく何かの加減で体調が不調になる。そんな自分の体を信頼できなくて、
ほどほど、そこそこ、出来る範囲で。と考えている私。
本当は、もっともっと自分を表現したいはずなのにね。
左脚の痛みは、そんな私へのメッセージなのだと思う。
明るく、無邪気で、喜びにあふれた、私が本来持っているエネルギーを、もっと自由に、あるがままに表現してゆこうよ。ということなのだ。
田んぼにひびきわたる、にぎやかな蛙の歌声のように。
そう、ここにきて、「にこにこ顔の蛙の天使」のイメージを思いだした。
蛙の歌が聞こえてくるよ♪ くわっくわっくわっくわっ♪
けけけけ けけけけ くわっくわっくわっ♪
そうだよ!! わっくわっくすることをやらなくっちゃね。ふふふ。
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「自分の中で、自分を認めていない領域がいくつもある。」と、言われた。
そのせいで、自分の人生に不調和が起こってくるのだ。
それに気づいた時に、丁寧に見ていくことが、できるようになってきた。
以前は、セラピストさん等に、寄り添って、見守ってもらっていたけれど、
自分を見守れる自分が育ってきた。
色々学んだことを生かしながら、自分を知り、癒してゆくことは面白いことだ。
そして、自分を愛おしく思う気持ちがわいてくるのが嬉しい。
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