DAY18

今日は夕方から夜にかけて
仕事をするために
(時々書いてる仕事とは、夫の自営業の補助作業)
パソコンを持って
いつものカフェに行った。
コメダじゃないコーヒー屋さん。


そこはいつも古い音楽が流れていて
邦楽と洋楽が混ぜこぜで
フォークソングも流れる。


私はフォークソングがすごく苦手。
特に日本語の曲は歌詞が分かるから苦手。


曲調と歌詞の一部から
勝手な印象で
わびしい、悲しい、みたいな
辛くてしんどい気持ちになっていた。
(詳しくないので、偏見の、本当に勝手な印象だと思います。ごめんなさい🙏)



でもここ最近 体感を感じる毎日なので
今日はフォークソングを聴いた時に


これも感じる案件じゃない!?!?びっくり


と気づいて

感じてみた。



すごく体感がくる


胃やみぞおちの辺りの不快感と同時に
両親の顔が浮かんできた。




うわーー、、
この感覚、、、


お父さんとお母さんに感じるやつ
と一緒やぁ…。


厳しさや辛さの中にある
小さな愛情をどうにか探して
これが幸せなんだ、って思って
美化して
その記憶を
ずーっと握りしめとる感じやぁ…



そんなの私の欲しい幸せじゃないのに、
楽しくないし素敵と思えんのに、
押し付けんな。
わたしがそれに満足せんからって
贅沢だ、わがままだ、って
否定するのやめてよ。


っていう
両親への気持ち も出てきた。




どうやら
フォークソングの雰囲気と
親の価値観を
実際にはどういう歌か知らないのに

「なんか辛そうガーン
私の耳に勝手に入ってくるのやだ」

と重ねてたらしい


ということがわかりました



ちなみに今日流れてきたフォークと思われる曲は
神田川と、たぶん さだまさしの母親系の歌♨️🤱

うちの夫は 彼の両親がよく聴いてたからという理由で
さだまさしが大好きですむらさき音符

ちなみにちなみに、
私が10代の頃好きだった音楽に感じる共通項は
怒り、絶望、痛み、快楽、愛
です。
親よりよっぽど病んでいますね驚き無気力



今日は Q&Aと怒りのワークの時間に
間に合わなかったので
1人でやってみたけど
怒りは出なくて
ことばだけだしてみた。



夜中に
オンラインサロン内だけのアーカイブを聞いて
体感のワークをしていたら
心臓がドクドク、1時間くらいなってて
手足がちょっとしびれた。


また心の中で
お父さんと話をした。


今日の脳内では
お父さんから否定的な言葉は返ってこなくて
話を聞いてもらえた。


お父さんの望む子供にはなれない
ごめんなさい。
お父さんに嫌われてたとしてと
私はずっと好きだから
それでもいいかと思ってる。

ということばが出てきた。

本音なのか諦めなのか、どうなの?

とも思ったけど

いい娘になれない自分のままで
愛されたい

という気持ちも伝えられた。脳内でね。