アンテシニアゴリラのひとりごと (アンテロープシニア24)
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高校サッカー②

母ちゃんのおかげで

高校でも

サッカーを

続けることができたわけですが


高校に

入学、入部する前に3月中旬に

サッカー部の練習に

参加して

目の当たりした高校サッカーの

レベルの高さは

想像を絶するものでした⚽️



今回、

こうやって自分史みたいな感じで

書いていて

振り返ると、


いま

振り返ると


いま

振り返るとですが


当時

自分が

ぜんぜんサッカーで

通用すると考えてなかったのに


そんなことより


学力で

行ける高校が

無いかもしれないことを

ウチの母ちゃんは


『あんた どうするの?』すら

言ったことは

ありませんでした。


受験の憂鬱を

吹き飛ばしてくれた

母ちゃんの提案に

乗っかった代償


いや


代償では無いですね


当時

俺は

そもそも

高校受験に

何の意味も見出せていませんでした



『義務教育』から自由になるのに



多感な子供を餌食にして


全くもって


自由では無い雰囲気を

大人は

当たり前のように

子供に

ぶつけてレールに乗せる


『良い高校に行ったら

良い人生が送れる』みたいな。


『大町で、この高校に行かなかったら

情けないよ』みたいな。


もう一回、言いますが

俺の母ちゃんは

そんなことを

いっさい言いませんでした

(俺に興味がなかったのか笑)



まぁそれはさておき

この制度に

いや

雰囲気を醸し出す政治家に


いまだに

騙され続けている親子が

たくさんいるわけですが。



入学を控えた3月下旬

2、3回

練習に

参加していると

まさかの展開となりました⚽️











高校サッカー①

中学で

サッカーも上手くなく

勉強もできなかった自分が


母ちゃんのおかげで

信工に進学して

サッカーを続けることに

なりました。



しかしそれは

想像に及ばないほど

レベルの高い場所でした



入学前に参加した練習で

とんでもないところに来てしまったと

思いながら

辞めるわけにはいかないと思っていました⚽️




高校サッカー⚽️

記憶が曖昧ですが


初めて参加した

高校サッカーの

衝撃的な光景を

目の当たりにして


塩尻から

大町へ帰り


母ちゃんに伝えました

『きっと高校3年間、

試合に出られないと思うけど

  絶対に辞めずに頑張るよ』


いま思うと

『サッカーをやっていたほうが良い』

と言ってくれた母ちゃんへの

自分なりの決意だったのだと思います


だって当時

サッカーもダメ

勉強もダメだった自分に

『サッカーを続けたほうがいい』

と言ってくれた母ちゃん


当時

その言葉には

いろんな思いが込められていた気がしました


だからこそ

そんな言葉を伝えました。


そのときの

母ちゃんのリアクションは

覚えていません💦


まぁ

サッカーを

続けさせてくれた

母ちゃんに報いるには

レギュラーになれなくても

3年間辞めないことだと

思っていました⚽️

高校サッカー(えらいとこ来てしまったなぁ)

中学校の卒業式を終えて

のうのうと春休みを過ごしていた中で


監督なのか、部長先生なのか

不明ですが、家に電話があり、

『もう新一年生のみんな練習に来ていますよ』


忘れもしない

ひとりで

特急あずさに乗って塩尻まで行き

歩いて信工まで行った あの日


信工のグラウンドでは

当時はまだ

北信越リーグだった山雅と

信工が

練習試合をしていました⚽️


小雨の中

そのグラウンドでのプレーの

激しさと言ったら

いまでも忘れない衝撃的なものでした。


そこで初めて

山雅のトップ下でプレーしていた人が

つい このあいだ信工を決勝まで

導いたN選手で

同じく信工のトップ下で

プレーしている選手が

T選手


ついこの間まで、チームメイトだった

2人が(それは俺は後で知るんだけど)

バッチバチに競り合っていました。


T選手

本当に肉眼で見た人生で

1番上手い人でした⚽️



高校受験②

前回の続き


中3の冬

そんなことで

信工を受験することにしました


中学の

進路指導の先生や

担任の先生の雰囲気から

なんとなく受かるんだろうなぁ

って思っていた

相談しに行った時に

推薦でみたいな話もあったけど

けっこう学校を休んでいたから

一般推薦での受験は無くなった


ダメになっても

進路指導の先生からは

まぁ推薦じゃなくても大丈夫だろう

みたいな雰囲気を感じていました



私立なのかしらないけど、

国語、数学、英語の3教科の試験に

面接でした✏️



1月下旬ころだったか

私立を受験する生徒だけで

電車で受験に行きました



信工を受験するのは

自分だけだった


同じ電車では行っていたのだが

電車内では、他の生徒と一緒に座っていて

塩尻駅に着いたから母ちゃんとタクシーで

学校に向かいました🚕〜


その途中で三角定規を忘れたことに

気がついて

セブンイレブンで買いました△


結局、三角定規は試験で

使わなかった😅


試験の出来は、あまり覚えていないけど

英語以外は割とできた気がしていました。


面接は、入学したらサッカー部に

入りたいと話したことくらいで

内容もあまり無く、簡単に終わりました。


あまり覚えてないのですが

1、2週間くらいで

合格ということがわかりました。


当然、まだ公立の試験を

控えていてクラスも

当然、受験に向けて動いていました。


信工に受かって、公立の試験を

受けないと決めたので

周りの友達含め、クラスの雰囲気を

乱さないように気を使っていました。


でも内心は、気楽なもんでした。


いま振り返ると

高校受験から解放され、

大町高校は、はなから問題外、

穂高商業高校も早々とムリとされ、

池田工業、大町北も危うい感じになってきて

白馬かぁ。。。


いや白馬も大丈夫なのか。。。。。


そんな雰囲気から解放されることが

すべてになっていました


前にも書きましたが

サッカーの実力は

たいしたことがないことは

自分が一番わかっていました


少年団でも、キャプテンだったけど

チームメイトに自分よりも

上手い仲間はたくさんいたし、

中学も中信トレセン止まり、

中学の部活の先生は

サッカー未経験だった⚽️


そんなことより

なにより

上手くないと自分で

わかっていたのに

努力しなかった自分を

誰よりも

自分が一番わかっていたから。


なんとなく

中卒で働くのかもなぁなんて

考えることも増えてきていたころに

降って湧いてきた信工の話でした⚽️


しかも

その話を持ってきたのは

母ちゃんだったということ。


少年団のころは、

俺がキャプテンということもあって

試合にも必ず来てくれて

(というか、親御さんたちの車に、

みんなで乗り合いで試合に行っていた)

いましたが


中学では、俺が恥ずかしがって嫌がっていたので

一回も観にくることはありませんでした。

(ってか、当時、親なんて誰も来てなかった)

中信トレセンも電車でO君と2人で行ってたし

2年、3年になるにつれて、トレセン活動も、減っていった(呼ばれなくなったのか忘れてしまいました)


少年団の頃は、応援に来ても

一度もサッカーのプレーのことで

何かを言われたことは

ありませんでした⚽️

褒められもしないし、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいと言われたこともありませんでした。


それなのに

『サッカーを続けたほうが良いと思う』と

信工の話を持ってきてくれた⚽️


そのときに


『◯◯◯はサッカーやっていたほうが良いと思うよ』

と言われました。


あの言葉がなければ

いまの自分はありません。


たいして上手くもない自分に、

そんな言葉をかけてくれた。



感謝です。



感謝ですが、今回、

こうやって振り返ると


あの頃の自分は

高校受験の苦しさや、

もしかしたら俺は中卒で

働くのかもなぁなんて思うことも

あった苦しさから解放されたい気持ちが

強かったと思います。


だから

高校サッカー選手権長野県大会

決勝まで勝ち進むチームは

どんな感じなんだろうって

ことも考えてなかったです

(いま考えるとヤバすぎ😅)




3月中旬に

中学校の卒業式を終えて

春休み中


信工サッカー部の監督から

家に電話があって



『もう、みんな練習に来てますよ⚽️』










なんですって〜💦





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