高校受験
中3の冬
たしか11月か12月。
家に帰ってきた
母ちゃんが
『会社の人が
サッカーやってるなら
県大会決勝まで行った信工に
行けば良いじゃんって
言ってたけど、どうなの?』
みたいな感じで話してきました。
その時、俺は
高校でサッカーを続けると考えてなかったので
高校サッカー長野県大会を
テレビでも観ていませんでした⚽️
その年の
全国高校サッカー選手権長野県大会
決勝戦
上田東高校 対 信州工業高校
上田東高校の優勝で幕を閉じましたが
準優勝した信州工業高校でした。
『って言うか、
高校でもサッカーやっていいの』みたいなことを
聞いたら
後にも先にも
母ちゃんから言われたことって
これしかない気がする。
『暁はサッカーやっていた方がいいと思うよ』
あらためて言いますが
親が
離婚したことで
高校でサッカーを
続けられないと
思わなかったわけでは無くて。
少年団のころから
同じチームに自分よりも
上手い仲間が何人もいたし
サッカーが強い高校へ行く
学力も
無かった✏️
小学生のころから
わかっていた。
それなのに
サッカーも勉強も
努力しなかった自分を
自分が1番わかっていたから。
サッカーどうこうというより
大町北高か白馬高に
行くしかないと思っていました。
マジで学力で
高校に行けないかもって
思っていました
そんなときに
そんな話⚽️
信州工業高校が
どこにあるのかも知らなかったし
そもそも『私立』の定義が
わかっていなかった
そしたら
受けてみろみたいなかんじでいわれて。
子供ながらに
学力的に受からないなら
そんなこと言わないよな
と思いました。
中学校3年生
中3になり、最後の郡球がありました。
そこで、
なんと初めて
中信大会へ行くことができました。
中信大会では
あっさり負けたと記憶していましたが、
このあいだの飲み会で
名前も知らない仁科台に負けたって
誰かが言っていたので
もしかしたら1回勝ったのかもしれません。
あのころは一中と高瀬に勝つことが
すべてでした。
部活の先生も体育の先生で
大学生の時にスキーで全国優勝した先生で
練習も試合も好き勝手にやらせてくれました。
全員で練習も試合のメンバーも決めて戦った記憶があります。
とっても良い思い出です⚽️
サッカーが終わって、
さて高校はどこへ行こうかって時期になりました。
入学したころは担任の先生から、
推薦で松商へ行けば良いとも言われましたが、
学力が伴わず、早々にあきらめていました。
学力だけじゃなくて、サッカーにしたって
少年団の頃から、特別上手いわけじゃないことも自分でわかっていたし、わかっているのに、自主練習するわけでもなかったので。
俺が中1のころに親が離婚して、
父親がいなくなり、
母ちゃんが姉ちゃんと俺を
育ててくれました✨
2こ上の姉ちゃんが
穂高商業に行っていたので
行こうかと思っていたけど
学力が足りず、
池田工業かと思っていたけど
これも学力が、足りないとなり
大町北もなんだか怪しいぞと、
勉強しなければとなっていながら
迎えた3年生の冬。
俺の人生を
大きく変える出来事が
おきました。
中学生になりました
大町東小学校を卒業して、
大町サッカースポーツ少年団を卒団して
大町仁科台中学校に入学しました
当時、大町市には
もうひとつ中学校があって
(大町一中)
住んでいる地区で分けられているんですが、
サッカースポーツ少年団の
チームメイトのほとんどは
一中に入学しました⚽️
(これは当時の大町スポ小あるあるとでも言える)
それでも中学校の部活には
ひとつ上の学年には
少年団のときの先輩もいて
当たり前のようにサッカー部に
入りました。
サッカー部として、
一年生の頃の記憶は、ほとんどなくて
試合もほとんど出れてなかったです。
でも1学年上の少年団の先輩たちは、
優しいし、
楽しくサッカーできていました⚽️
当時は、大北地域(大町市と北安曇郡)で
大会があって、(通称・郡球)
そこの1位と2位が
松本エリアの中信大会に出場できましたが、
大町一中と高瀬中が何年も当たり前のように
中信大会に進むと言う構図でした。
2年生でも結局、惜しいところまで
追い詰めるも勝てなくて
中信大会へは進めませんでした⚽️
また、部活動とは別に
トレセンにも呼んでもらって
参加していました。
当時から、わかっていましたが
大町スポーツ少年団の流れで
呼ばれていた感じです⚽️
前にも登場した、
この年代のナンバーワン選手で、
一中に行ったO君と
2人で参加していました。
電車に乗って松本まで行って、
サボったこともありました。(笑)
しかも、それがバレて
あとで怒られました(笑)
いい思い出です。
当時の長野県サッカーは
中信エリアが強くて、
中信トレセンのほとんどのメンバーが
県トレセンに選ばれていました。
俺は中信トレセンどまりだったんですが、
O君は、当然、県トレセンに選ばれて
その後、あの岳彦と一緒に
北信越代表まで行っていました⚽️
同年代の北信越代表には、元日本代表の
柳沢さんがいました。
ちなみに岳彦はその中でキャプテンを
任されています‼️
まぁ中信トレセンどまりの俺には
遠い世界の話でした⚽️
さぁ全日本少年サッカー大会長野県大会へ
春先の中電こんにちは杯で
優勝したことによって
自分たちを含め
全日本少年サッカー大会長野県大会でも
優勝候補筆頭として
挙げてもらうほどのチームになっていました⚽️
そんなチームのキャプテンでしたが
実情は
まったく違くて
前のブログにも登場した
同じチームのO君⚽️
彼は5年生のころに
親の仕事の関係で大町市に
引っ越してきて
少年団に入ったのですが
そりゃあ
もう上手くて上手くて
圧倒的な個の強さを持っていました
俺も
O君と一緒に
5年生のときに
6年生のチームに参加させてもらって
右サイドバックで試合に
出ていましたが
O君は
トップ下、
まさにキャプテン翼のポジションで
1学年上のチームの中心選手として
活躍していました⚽️
それだけじゃなく
新チームには同じ年の
強くて上手い選手が
本当にたくさんいました⚽️
そんな状況でも
特に悔しさや妬みは無く
頼もしさだけがありました。
それはさておき
優勝候補筆頭として
臨んだ
全日本少年サッカー大会長野県大会⚽️
ベスト8で旭町FCと対決
あとから父兄の方に聞いたら
事実上の決勝戦と
言われていた試合だったそうですが
1対2で敗退
波田のほうの土のグラウンドで
あっけなく全国大会への挑戦は
終わりました⚽️
キャプテンとして
何もできなかった
今思えば
しようともしなかったとすら思います
その後
長野県大会は
まさかの三郷FCの優勝で
幕を閉じるのですが
それこそ
『サッカーは何が起こるかわからない』と
感じた瞬間でもありました
まさかの
と言ったのは
三郷FCとは安曇リーグで2回対戦して
2回とも勝っていたからなのですが。
トーナメント戦の難しさでもあり
面白さでもあります。
結局、勝ったチームが『強い』のですし、
まぐれでは優勝はできません🏆
その後のコカコーラ杯も
記憶に無いほど
小学生の頃のサッカーは
あっけなく終わってしまいました⚽️
いよいよ6年生になりました
いよいよ6年生になりました⚽️
小2で
大町サッカースポーツ少年団に
入り、
気がつけば
サッカーというスポーツに
ハマっていました⚽️
シーズンが終わり
年が明け
少年団で
6年生を送る会があって
その時に、6年生のキャプテンだった
A君から突然、
でも
こっそりキャプテンマークを
渡されました
本当にビックリして
なになになに💦ってなったけど
お互い
多くは語らず
個人的には
そーゆーことなのか〜って
かんじでした
なんか
わかんないんだけど
先生に(みんな監督じゃなく先生って呼んでた)
『さとる
がキャプテンだ』って
個人的にも
チームを、集めても言われた記憶が無いです😅
6年生になり
新チームとして
春先にあった
中電こんにちは杯⚽️
松本、塩尻エリアも含めた
リーグ戦も経て
トーナメント戦だった気がします
当時、長野県は中信エリアが
とても、強くて
特に旭町、筑摩野が
強くて他の松本市のチームも強かったです
安曇リーグでは優勝しても
全日本少年サッカー大会や
コカコーラ杯では優勝できない
そんな中での
新チームとして初めての
松本勢と戦う大会
いまでも忘れません
(間違っているかもですけど😅)
筑摩中学校のグラウンドで
土砂降りの中での試合で
筑摩野FCと対戦して
4対1くらいで勝ちました。
その勢いのまま
中電こんにちは杯優勝🏆
嬉しかったなぁ✨
その後
始まった
安曇リーグも敵なしの強さで
連勝を重ねていきました⚽️