こんにちは、
“すきま時間でやりたいことを実現する専門家”
堀 正仁です。
今日は、僕の本当にやりたいことについて、
振り返りをしてみたいと思います。
「僕の本当にやりたいこと」
まだ、中学生だったころ、遠い親戚のお姉さんから、
「夢があっていいね!」って、いわれた。
その時、むしょうに腹が立ったことを覚えている。
夢ではない、必ず実現させるって、心のなかで呟いた。
当時の僕の計画は
ライン・パイトロット(航空会社の操縦士)になることだった
その当時、ライン・パイロットの登竜門は狭かった。
今でこそ、パイロットが不足して、
いろいろなところで、ラインパイロットを養成している
その時期は、パイロット需要は少なかった。
JALさんやANAさんなど航空会社の自社養成もなかった。
航空大学校からか、
航空自衛隊から割愛で、
航空会社への道しかなかった。
そんな狭き門に向って、中3のときに決心した。
「絶対、なってやる」ってね。
「狭き門より入れ。
滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。
生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし。」
って、聖書の一部が好きだった。
高校に入り、理工系に進んだ。
なぜって?
当時の航空大学の受験科目が、
英語・数学・物理の3科目の理系科目だったから・・・
入試日は、確か10月ぐらいだったかな?
1次試験は学科試験、
2次試験は身体検査、
3次がフライトチェック
現役のときは、学科試験さえ、受からず、惨敗。
次の年に、1次は通過し、2次の身体検査に挑んだ
当時の不安は視力、合格ラインは1.0以上
乱視もあり、若干視力が落ち気味であった。
視力回復センターに通ったりもした
身体検査はかなり厳しい。
スッポンポンになり、あらゆるところを検査された。
10代の青年にとっては、結構屈辱的<笑>な場面もあったりして・・・・
そして、最後に視力検査
今は検査機器が発達していて、
眼圧も風を当てるだけでOKだけど、
当時は違っていた。
横に寝て、ヘンテコな機械で目玉をもちあげられた。
そして、眼の検査の最後が視力検査!
残念ながら、左眼が1.0弱
結果は3次には進めなかった。
一番茫然とした時間を過ごした。
それから、20代以降は、
やりたいことは、いくつかあったが
心底やりたいことは見つけることはできなかった。
それが、50代に入り、
変化した。
本当にやりたいことがみつかった。
何故って?
振り返ると、きっかけは自己投資だったと思う。
中小企業診断士にチャレンジし、
コーチングの勉強も始めた。
特に、コーチングを学ぶなか、
自分自身がよくわかるようになった。
ストレングス・ファインダーの学びが
更に深めていった。
いろいろなところに、行き過ぎて
驚愕したこともあった。
その当時の自己紹介では、「自分探しの旅をしています」
って、いっていた。
結構苦しんだ部分もあったが、
コーチとしてクライアントさんをもったことが
転機になった。
「クライアントさんの表情が変化するその一瞬がある」
本当に、ぱっと明るくなるんだ。
対面だけではなく、スカイプを通じても、感じることができる。
その瞬間!
クライアントさんとシンクロしている
共感している
まるで、「一緒にダンスを踊っているような」感覚に陥る
これだって、思った。
そんな経験を積んだいま、
何がやりたいかっていわれたら、こう答える
「昔は、自分のためにやりたいことをすること、
今は、人のために自分を活かすこと。
人を笑顔にすること。
一緒に“いいね”っていえること」
って、人前でも言えるようになった。
僕の友人でもあり、コーチでもある方が、
こんな1分間メッセージをくれて
それを毎日聞いたことがきっかけかもしれない。
このメッセージをお伝えして
今日は筆を置くことにしたい。
『私、堀正仁は、
人を笑顔にする「和顔施サポーター」。
私が関われば、社長も社員もみんな、笑顔が弾ける。
一人一人の資質が生かされ、企業の強みも生かされる。
成果が出ては、私も一緒に笑って「めちゃいいね!」とはしゃいでいる。
私、堀正仁は、人に気づきを与えるコーチ。
自分の資質を戦略的に使いこなせば、
人は自分のワクワクする未来に気づき、
やる気が湧いてくる。
私の実践を伴った学びは、
即、誰かの助けとなり、手応えを感じさせてくれ、
自分も周りも成長し続ける。
幸せ提供力が上がっていく。
「和顔施サポーター」であるために、
私、堀正仁は毎週のように高い目標を達成し続ける。』
注:和顔施
和やかな笑顔を絶やすことのないよう心がけて、
自分の周りにいる人たちに幸せを贈ること
これが和顔施です。
僕は、今、「和顔施さぽーたー」って名乗っています。