ネットに作曲家・池辺晋一郎さんのコラムが載っていました。紹介します。ニコニコ
 
 “民謡が好きだ。どこの民謡だろうが。作ることを仕事にしている僕が言っても説得力に欠けるが、作られたものではなく、人の心から自然に湧き上がってくる唄(うた)に、惹(ひ)かれる。

 子ども時代、僕は茨城県水戸市で育ったが、ここは「磯節」の里だ。「磯で名所は大洗さまよ 松が見えます ほのぼのと」と歌われる。歌うにはややむずかしい唄だが、「ハァ、サイショネ」という合いの手も面白く、いい民謡である。

 ところで僕は、民族音楽や民族楽器が大好きで、楽器に関してはコレクターを自認している。インドのシタールやトリニダード・トバゴのスティールドラム、フィリピンのアンクルン、ブラジルのビリンバウ、世界各地のジューズハープ(口琴〈こうきん〉)などが、家の中に山積みされている。

 作曲家としてヨーロッパの理論を学び、そこに寄り添ってきたが、同時に非ヨーロッパの音楽も愛してきた。当然の帰結として、「東洋民謡集」という合唱曲集を5巻上梓(じょうし)している(音楽之友社刊)。「Ⅰ」から「Ⅲ」は、東京混声合唱団委嘱、「Ⅳ」は、スウェーデン王立男声合唱団オルフェイ・ドレンガー委嘱、「Ⅴ」は、佐賀女子短期大学付属佐賀女子高校合唱部委嘱。つまり混声合唱のために3つ、男声と女声合唱のために1つずつ。モロッコ、インド、モンゴル、インドネシア、台湾、ベトナム、ナイジェリア、オスマントルコ、アゼルバイジャンそして日本などの民謡を、かなり大胆、自由に合唱化したものである。

 日本には、前記ふるさとの磯節のみならず、あちこちに大好きな民謡がある。若いころ(1979年)、フランスのパイヤール室内管弦楽団のために「日本のメロディ」というレコード用編曲をした。「荒城の月」「浜辺の歌」「赤とんぼ」など日本の名歌を並べたが、1曲だけ民謡を含ませた。「刈干切唄(かりぼしきりうた)」である。牛や馬の飼料にするため、山で茅(かや)や笹(ささ)を刈り取りながら歌う唄。前記の東洋民謡集でも扱った。

 「刈干切唄」は、そのくらい好きな民謡だが、さらに希少な出会いがあった。2004年、宮崎オペラ協会委嘱でオペラを作曲。伝説の宝庫である宮崎で、僕の提案により、古事になぞらえた創作伝説を構成して題材にすることになった。阿蘇を含む宮崎を2度にわたり歩き回ったが、2度めの取材は、高千穂の夜祭だった。台本担当は高千穂出身のノンフィクション作家・高山文彦氏。高山さんとカッポ酒を飲みかわしつつ、夜を徹して神楽(かぐら)を楽しんだが、その時、目の前で地元の人が聴かせてくれたのが、正調・刈干切唄。その声からさらなる力を浴びた僕は、2時間近いオペラ「鬼八(おにはち)」を書き上げることができたのだった。

 高千穂に程近(ほどちか)い熊本の「五木の子守唄」は、日本民謡には稀有(けう)な3拍子で、これは民謡がほとんど3拍子の朝鮮半島と関係があるだろうと推察される。

 北海道の「北海盆唄」は炭鉱労働者の戯(ざ)れ歌(うた)がモトだ。不思議なことにアイヌの歌はほとんどは「カノン」(輪唱)の形である。富山県五箇山の「こきりこ節」は日本で最古と考えられる古謡だ。

 民謡には地方独自の気候風土の特質、風習や歴史が内蔵されている。日本に限る話ではない。地球上あらゆるところに、この内蔵が存在している。本来、音楽は作られるものではなく、人間の生きかた、暮らしのなかから自然発生してくるものなのだと確信する。繰り返すが、作る立場である僕が言うことではないのかもしれない。しかし、この思いを保ちつづけることこそが真の創作につながるということを、僕は忘れたくないのである。”ニコニコ
 
  「本来、音楽は作られるものではなく、人間の生きかた、暮らしのなかから自然発生してくるもの」 なるほどと認識を新たにしました!飛び出すハートキューン

*池辺晋一郎(いけべ・しんいちろう); 作曲家。東京芸術大学卒。全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。文化功労者。