ネットに次の記事が載っていました。紹介します。![]()
“口の中に広がるバターの芳醇(ほうじゅん)な香りと、やさしい甘さで親しまれる「バターあめ」は北海道を代表するお土産の一つです。道内各社で商品展開をしており、味や形はさまざまですが、実は渡島管内八雲町で95年前に誕生した一品です。あめとバターという意外な組み合わせは、どのような経緯で生まれたのでしょうか。昔ながらのお土産の印象もある中、なじみの少ない若年層や海外に向けてアプローチをする動きも出ています。
7月下旬、八雲町郷土資料館を訪ねると、学芸員のOさんが展示品のバターあめ製造機を前に「バターあめを考案した榊原製飴所で実際に使われていた物です」と教えてくれました。製造機の中には、今もバターの香りがしっかり残っています。
■1930年代、榊原製餡所が考案
バターあめは1931年(昭和6年)、榊原製飴所(八雲)の初代・榊原安茂さん(故人)が考案しました。当初は八雲駅で手売りをしていたそうで、5年後に製法特許を取得しました。
なぜ、あめにバターを加えたのでしょうか。八雲は元々、畑作が主流でジャガイモでんぷんの製造が盛んでしたが、第1次世界大戦後に価格が大暴落。ジャガイモでんぷんをあめ作りに活用する動きが進みました。
こうした情勢を踏まえ、1921年(大正10年)ごろ、酪農への転換にかじを切りました。同社のバターあめのしおりには「当時日本一を誇った酪農の町、道南八雲」などと書いてあり、大谷さんは「酪農のまちらしさを感じさせるバターを加えたのではないか」と推察します。
まちを支えたでんぷんや酪農の要素から生まれたバターあめ。しおりにはバターを加えたことについて「到底手を染め兼ねる冒険」などとあり、完成までに苦労した様子もうかがえます。生産高がピークの1940年(昭和15年)ごろには月10トン程度を製造、天皇への献上品に選ばれるなど八雲を代表する特産品になりました。しかし、榊原製飴所は2004年ごろ、2代目の死去をきっかけに廃業。残念ながら、今は元祖を味わうことができません。
それでも、八雲発祥のバターあめが北海道を代表するお土産として全道各地に広がったのは事実です。
■かつては雪印乳業も販売
榊原製飴所から製造方法を教えてもらったというトラピスト修道院では発売から半世紀以上たった今も主力商品の一つで、道内各地の土産店で販売されています。
大手乳業メーカーの雪印乳業(現・雪印メグミルク)は旧奈井江工場で製造。販売を既に終了していますが、同社は「製菓事業へ参入する契機となった商品」と思い入れを語ります。
調べていくと、バターあめが人気だった時期がいつなのかも気になりました。民俗学に詳しい北海道開拓の村の学芸員Iさんは「ピークは不明だが、私が子どもだった昭和50年代の北海道お土産といえば、バターあめの印象が強かった。それは団体旅行が主流の時期でもあった」と指摘します。実際、昭和50年代前半の道内時刻表を調べると、お土産情報として複数のバターあめの情報が載っていたといいます。
昔ながらのお菓子というイメージが強いバターあめですが、近年、新たな取り組みが次々と出てきています。
発祥地である八雲町では、町が包括連携協定を結ぶ洋菓子メーカー大手の不二家(東京)にレシピづくりを依頼。完成したレシピを参考に、町内の菓子店「クレールいとう」が2022年から販売を始めました。
■「元祖」の成分分析、再現し商品化
町によると、不二家は残っていた榊原製飴所のバターあめの成分分析などを実施。再現したあめを町民に試食してもらい、当時の味に近づけたといいます。
クレールいとうでは和菓子や洋菓子、パンといった幅広い商品を提供していますが、バターあめの製造は初めてだったそう。T社長は挑戦した理由について「八雲発祥のバターあめを風化させるのはもったいないと思った」と振り返ります。
老舗飴店の飴谷製菓(小樽)では今年、カプセルトイとコラボ。キツネや北海道地図などレトロで北海道らしいデザインが人気です。数年前からは、米国で開かれる大手小売店の北海道フェアにバターあめを出品しており、A取締役部長は「バターあめの文化を残していきたい。そのために認知を広げ、新たな見せ方をしていく必要がある」と熱く語ります。”![]()
世代によって懐かしさや新鮮味を感じられるバターあめ。ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。![]()
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