先日の、娘たちとの記事の最後に、

(いつもよりたくさん読んでいただいてうれしい^^)

 

 

 

「目の前の人を信じて見守れるわたしになってきているなぁと思う」

と書きました。

 

 

わたしが、

どうやってそんなわたしになってきたのか、ということを考えると、

 

それは、

 

「誰かの責任を勝手に持たない」

 

と、

ある時から決めたからでした。

 


 

秋ですなぁ

 

  

こんにちは。

星野えみです。


 

 

ひとりの人が責任を持てるのって、

 

「自分自身の状態だけ」だと思います。

 

 

自分の状態、というか、

自分の機嫌、というか、

自分のエネルギー的なものというか。

 

 

わたしたちが責任を持てるのは、

そこだけだと思うんです。

 

 

あとは、もう全部、

神様に丸投げするしかないレベルなのかもな、と思うほどに。

 

 

 

このうちいくつの願い事が叶っているのだろうね

 

 

 

本来、わたしたちは、


他の誰の状態も、

機嫌も、

エネルギー状態にも、

責任を持つ必要はなかった。

 

 

だけど、

生きてきた中で、

 

役に立たなくちゃ、とか

笑顔にしなくちゃ、とか

期待に応えなくちゃ、とか(多くはお母さんでしょうが)

 

「そうしなければわたしは愛されない」という勘違いに飲み込まれて、

 

『誰かの機嫌や、誰かのエネルギーの責任を持とうとしてきた』のだと思います。

 

 

そして、

同等に、

 

『自分の機嫌や、自分のエネルギー的なものも、

誰かに責任を持ってもらおうとしてきた。』

 

 

赤ん坊の頃のまま。

 

大人になってもなお。

 





 

 

 

子どもの頃から慣れ親しんだ手法を変えるのは、

少し勇気が要ります。

 

 

だけどもう、

それをやめて、

 

自分の状態にだけ責任を持つと決意する。

 


それはイコール、

 

”他の誰の状態にも責任を持たないと強く決める”

 

ということでもあります。

 

 

 

これ、

一見自分勝手で冷たいことのようにも聞こえるけれど、

決して冷たいことでも厳しいことでもなんでもなくて、


誰にも優しくしないなんてことではなくて、

 

自分が誰かに優しくしたい時、

自分の状態に責任を持ちながらそうする、ということ。

 

誰かのために役に立とうとする時も、

自分の機嫌やエネルギー的なものに責任を持ちながらそうする、ということ。

 

自分の状態にだけ責任を持つと決めてそうすることは、

自分から何かを削り取ることはありません。

 

何かをしたから、お返しが欲しいという気持ちも湧きません。

相手の反応への期待もないから、がっかりもしない。

 

 

「自分がやりたくてそうしてる」

という意識があるかないかで大きく異なります。

 


 

 

 

誰のことも背負わないし、

自分も、誰にも背負ってもらわないって、

 

実はとっても楽だなぁと思います。

 

 

星野えみでした^^