退院してきた母は、
まだ痛みが強い時があるので、
1日に何回か「いたたた...」となり、
横になったり、
鎮痛剤の坐薬を使用したりしています。
そのくせ、
痛みがひくと、
ご近所のおじいちゃんおばあちゃんの様子を見に行ったり(民生委員をしているのでね)
家の周りの植木を触りに行ったり
車に乗って買い物に出かけたりもしています。
...
.....
( ̄▽ ̄)元気やないかーーい
でね。
この、「いたたた...」となってる母を見ると、
以前の私は、
胸がざわざわしていました。
なんだかかわいそうで。
私が何とかしてあげたくて。
私が何とかしないといけない気がして。
私が何にもできない奴だと責められているようで。
お母さんがつらそうだと、
私もつらかった。
でも、もうね、
今は、
なーーーーーーーーーーんとも、
感じない。
「おー。痛そうやな。」くらいは思うけど、
かわいそうだとか、
私が何とかしないと、とか、
責められてる気がする、とか、
なーーーーーーーーーーんとも、
思わない。
あ。
ウソ。
1ミリくらいは、思う(笑)
ジェニーさんのこの記事↓
これを読んで、
あーーーーーー、
ほんとにそうだー♡
そうだそうだーー(*´˘`*)♡
って、
嬉しくなった♡
そして
あたしは
役に立つために がんばる を
やめたのだと思います。
そして
あたしは
誰かのために 我慢する を
やめたのだと思います。
そして
あたしは
自分の「したい」「やりたい」を
すこしづつでも
ひとつひとつ
するようになっていったのでしょうね。
(ジェニーさんの本文より)
わたしも、
これを手放してきたんだー。
役に立つために がんばる
誰かのために 我慢する
『恐れや不安からやっていたがんばり』を、
捨ててきた。
そうすると、
私の周りから、
かわいそうな人が、いなくなった。
子どもに対しても、感じていた、
「かわいそう」という思い。
これも、手放した。
いや、たぶん、
まだまだ顔を出すことはあるよ(;´Д`)
でも、気づくたびに、手放していけばいい。
ち
な
み
に
今回の入院にあたって、
我が家の愛すべきバカ(失礼←改めてひどい
な、彼なのですが、
実は、母の入院の2日後から、
山登りのための長期イタリア旅行の予定だったんですよね( ̄□ ̄;)!!(なんてタイミング
ええ。
旅行目的は、安定の山登りです。
彼、
旅行を躊躇する様子、
1ミリもなかったね(笑)
父の中では、
嫁の入院や病気なんて関係なくて(まぁ私がいるという安心も大きいのだろうけど)
自分のやりたいことを、
誰にも遠慮せずする
そんなことが、もう当たり前なんだなぁと、
改めてその神具合に感動しました。
入院した翌日も、母の様子を見に行くでもなく、
旅行の準備に忙しく(笑)
「病院おるから大丈夫やろ。
何かあったら連絡あるやろ。」と。
そして、
「いたたた...」な母を気にすることなく、
イタリアへ旅立ちました♡
最高のヒトデナシっぷり♡♡♡
ちなみにね、
4月に右肩の手術をしていて、右肩はまだあんまり上がらなくてね、
今回はトレッキング程度にするという話を聞いていたんだけど、
出発前日に聞くと、
「命綱のある所なら、左手一本でも登れるし、クライミングもしてくる」
って嬉々として話していました。
ほんっと、バカ(笑)(笑)(笑)
日本から同行している山仲間は名古屋のお坊さんなので、
なにかあっても成仏できることでしょう(笑)。
↑父が父なら、娘も娘だ。
ヒトデナシ いえーい٩(ˊᗜˋ*)و