おはようございます。。
体幹ダイエットコーチ名良ちゃんです。
実は元旦過ぎたころに書いていたのですが、掲載を迷っていました。
でも、自己紹介でも述べていたので、本日載せました。
どんな人生でも、前を向いていれば、必ず幸せが微笑んでくれるということだと思います。
元旦に、妻と息子人で、仏壇に手を合わせ今年の抱負を述べました。8歳の息子の姿を見ながら、ふと自分の子供の頃が、走馬灯のように重なっていきました。
丁度、2人目の母親と過ごしている頃です。
私は、母親という人が3人いました。
実の母は、
愛人を作って、4歳の私、2歳の弟、8ヶ月の弟を置いて、家を出ました。
国鉄マンだった父親が、勤務中の夜に、噎び泣きしながら、元気でねと言う母の声を、寝ていた私はぼんやりと聞いていたのです。
その日から母の姿を見る事はありません。
家族を捨てたのです。
小学校の6年間は、2人目の母親でした。
腹違いの妹がいたのですが、差別を受けました。父がいない日の私の夕食は、ご飯とたくわんのみで、いつも空腹でいた事を覚えています。
中学生時代を過ごした3人目の母親は意地悪な人で、父のいない場所では、あらゆる規制をかけたりして、守れないと頭を小突いたりしました。
そんな環境だったので、感性豊かな中学生時代は荒れていました。
ヤンチャして、ナイフ振り回して何も考えていないように自分を見せていました。
いつでも「死にたい」と思っていた自分の心は、ボロボロだったのです。死にたいから怖くなかったのです。
孤独で、こんな人生なんかいらないと思いながら、不良仲間とたむろっていました。
中学校を卒業する頃に、離婚した父は、私たちを祖母に預けました。
国鉄の退職金で、借金を精算し、私と弟に自転車を買ってくれて、元気で暮らせと家を出て行きました。
少しホッとした。
そんな父でも、何故か憎めなかった。
むしろ、女性に対して嫌悪感を持って、トラウマになっていたのかもしれない。
男子ばかりの高校生になっても、他校との勢力争いの喧嘩。
卒業後、就職しても生意気な奴を見ると、脅して黙らせる。
同郷の先輩からは、シャブまで勧められたりした。
この時に手を染めなくて本当に良かったと、後に思う事になりました。
俺って何なんだ!
と自分さえ嫌いになりかけた20歳を迎える頃に、全てをリセットして、車で日本一周の旅に出ました。
そして、この旅をした事が自分に気付きを与え、自分の中で昇華出来たように思えたのです。
道中では、いろいろな人と出会い泊めて頂いた家もあり、お土産をくれたり、お金までくれた方もいました。
知らない人の情に触れ、生きていれば、こんな感動もあるのだと知りました。自分を精一杯強く見せ、尖っていても何も持たない素性もわからない私に、ちょっとした優しさは、涙が出るほど嬉しかった。
それから帰郷した私は、もっと何かを得たい気持ちで、色々な本を読み耽りました。
そして自分なりに悟ったのは、
自分に起こる環境は、選択した自分にあるのです。
1人の人間として、父には父の人生のドラマがあり、私に起こった全ての事も、これから選択して生きて行く為の、ドラマの糧であった様に思えたのです。
何を選択して、決めるかは自分であり、選択して決めた事には、全力を傾ける。たとえ、困難にあってもブレないようなマインドを持つ事も大切だと感じました。
そして自分が最も自己表現出来るものは何かと考え、ファッションの道を選択しました。
12年間、全力疾走した私は、32歳で起業しました。
それからの人生も順風満帆ばかりではなかったです。
でも今、とても幸せです。
息子の顔を見ながら、彼の人生のドラマがどんなシナリオになるのかは、彼が選択して生きて行く事ですが、私が彼に出来る事は、良き相談相手になってやることでしょう。
今日も、体幹ダイエットコーチ名良ちゃんの話を聞いてくださってありがとうございます。
息子よ!生まれてきてくれて本当にありがとう。

