嬬恋郷土資料館が発行した書籍を読み、現地に行きたくなって、朝から行って来た。

流石はこの資料館発行の本で、主なポイントは全て書かれていて、行ってみて出来の良い本だった事が分かる。

発掘調査により石段の下で人骨2体が出た観音堂も見学したが、場所は何と資料館の裏手。

 

この境内へ逃げ延びた村人と、たまたま村外に出ていた計93名の村人だけが生き残り、477名が土石の下。

往路は峰の茶屋を経由したが、土石なだれがあの距離を11、12分で流れ下ったらしく、速度がもの凄い。

 

人骨から作成した復顔像、2人ともに女性らしい。

 

浅間山の変遷、何時もは信州側から見ているので、反対側の嬬恋からだと、左右逆。

復路は、土石なだれが流れ下った吾妻川に沿って、渋川経由。ICまでそれなりの距離あるが、ここを流れて、江戸まで達したとはもの凄い。