赤山城跡・埼玉県川口市安行・空堀・ | 西村治彦の日記

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 この日は、埼玉県川口市安行にある「赤山城跡」に出掛けました。同行は紺子さんです。「赤山城跡」は「赤山陣屋」とも呼ばれます。江戸時代初期の1629年(寛永6年)に関東郡代「伊奈忠治」が赤山領の拠点として築城しました。郡代(ぐんだい)とは室町時代から江戸時代にかけての幕府・諸藩に置かれた職名です。郡奉行(こおりぶぎょう)とも言いました。一般には、その土地の領主に代わって徴税・司法・軍事等の職務を、郡といった広い単位で担当した地方行政官、すなわち郡単位の代官(郡奉行なら奉行)のことを言います。「赤山城跡」は、この地の「代官」の詰所でした。

 私と同行の紺子さんは、「赤山城跡」に到着しました、周囲は、現在は「植木の町」として知られる「安行の植木町」になっています。周囲は、「植木」だらけです。その「植木」の中に「赤山城跡」の「空堀」がありました。「代官」がいた詰所の周囲を「空堀」が巡っています。当時の「詰所」は朽ちてしまって、なにも残っていません。周囲は「赤山城跡」として、整備されています。「本丸」のあった中心には「赤山城跡」の石碑が立っています。江戸時代には、現在の「植木」に代わって、代官所や武士たちの住む「屋敷」が累々とあったと思われます。当時の「赤山城跡」のあった地図も展示されていました。

 「赤山城」の城主・伊奈氏代々の菩提寺・「源長寺」も近くにあります。城主累代の墓所がありました。

 現在は、「赤山城」の面影は、探すのが大変ですが、江戸時代には広大は「陣屋」でした。

 よく探すと、怖い面影が残っていました。「これ何でしょうか?」怖いですね。「城跡」に佇む「赤山藩の武士」の亡霊でしょうか。

 私は、祟りを感じて、怖くなり「赤山城跡」を出たのでした。「城跡」を探すと、いろいろあるものです。

 

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