千葉県八街市・馬の神社・小間子馬神社は、放牧の馬を祀った神社 | 西村治彦の日記

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 小間子馬神社は、「おまごうまじんじゃ」と読みます。私は最初、「おま、こうまじんじゃ」と読みましたが、違います。現八街市と千葉市若葉区の間には「小間子(おまご)」地区があります。「小間子地区の馬の神社」のことであります。江戸時代、及び、明治時代には、千葉県全体に「馬の牧場」がありました。千葉県内に、8番目に作られた「牧場」です。それで、この地区は「八街(やちまた)」と名付けられました。「馬の牧場」を「牧」と呼びました。「牧」は、土手で仕切られていて、「馬」が逃げ出さないように、高い土手が作られていました。現在でも、この「土手」は残されています。放牧されていた各牧の「200~300頭の馬」は 時期になると、大勢の人々により、「牧」内に、寄せられ、最後、狭い場所で、「馬」は捕獲されます。使える馬と再放牧される「馬」に分けられます。当時は、軍事用、訓練用などで、貴重な「馬」でした。車のない時代には、「馬」は 車代わりでした。私の子供時代にも、「鈴木高橋馬のくそ」と歌われ、「馬」は、どこにでもいる「家畜」でした。そこいらじゅうに「馬のくそ」が落ちていました。「鈴木さん」と「高橋さん」は「馬のくそ」ほど たくさんいる、と言う意味です。 

 そんな「馬」を祀った神社が、「八街市」にありました。「小間子馬神社(おまごうまじんじゃ)」です。「小間子地区にある馬を祀る神社」です。私と同行のまっちゃんは、「小間子馬神社」に入って行きました。すぐに、「馬の像」がありました。「馬を祀る神社」です。過去の歴史を感じながら、二人は「馬神社」で、参拝したのです。

 江戸時代には、近くを通る「御成街道」を、徳川家康公・秀忠公・家光公も、馬に乗ったり、籠で担がれたり、「馬」は 現代で言う「車」です。それだけ重要であった「馬」を、尊敬して、二人は 他に向かったのでした。

 

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