山木白幡神社と五井大宮神社・源頼朝・日本武尊・古墳もある | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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この日は、まず、千葉県市原市にある「山木白幡神社」に詣でました。実は、「白幡神社」は千葉県に多いのです、それで、所在する地名を「白幡神社」の前に着けます。ここは、「山木白幡神社」です。同行は、レインボーちゃんです。千葉県千葉市中央区新宿1丁目19-4にある「千葉白幡神社」には、古墳があります。古墳と言っても、現在 古墳の形はなくて、「ここにあった!」と言う「看板」だけです。1956年に、この「千葉白幡神社古墳」からは、「古墳時代の金銅装直刀二振り」が出土しました。これにより、砂丘の先端に古墳が築かれ、わりあい近いところに集落ができていた可能性が指摘されています。

治承4年(1180年)9月17日、「源頼朝」が「亥鼻城の城主千葉常胤」に人を遣わして味方するように求めた際、結城稲荷の境内に源氏の白旗をたてて奉納しました。それ以降白旗大明神と称し、明治に至って「白幡神社」と社号を改めました。「白幡神社」は「源頼朝」の「白旗」から、名着けられたのでした。

 今回 私が訪れた「白幡神社」は「山木白幡神社」でした。原市山木にあるからです。千葉市と市原市は「白幡神社」が人気です。小田原の石橋山の戦いで敗走した「源頼朝」が、千葉城の「千葉常胤」の助けを求め、平安時代後期に「千葉」に上陸したからです。後に天下を取った「源頼朝」にあやかって、「白幡神社」が多いのです。

 私と同行のレインボーちゃんは、「山木白幡神社」を散策し、「源頼朝」を忍びました。

 さて、次は、「市原市五井」にある「大宮神社」に向かいました。「大宮神社」と名付く神社も多いです。「大きいお宮」とか「広い大きな境内のある神社」から来ています。今回 私が行った「大宮神社」は「五井大宮神社」と呼ばれています。千葉県市原市五井地区総鎮守です。古い神社で、境内には「古墳」があります。長い風雪に崩れないよう「表面を石」で囲ってあります。これなら、千年単位で形が崩れないでしょう。「景行天皇」の時代に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が、東征でこの地を通られた際に創建されたのだそうです。こちらも凄いですね。「日本武尊(やまとたけるのみこと)」は父である「景行天皇」の命令により、東北地方で、勢力を伸ばしていた「東国の蝦夷(えみし)」を征伐に出掛けました。現・東京湾を舟で渡る時、暴風となりました。舟は傾き、今にも沈没しそうになりました。この時、一緒に舟に乗っていた「妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)」が 自分が犠牲になって、「入水」しました、そうしたら、「暴風」が収まって、「日本武尊」は 東京湾を渡り、東北の「蝦夷」を征伐した、と伝わります。「神話の世界」なので、「神話」として 聞くしかありませんが、「大宮神社」の伝説も凄いです。

 私とレインボーちゃんは、「大宮神社」を散策し、帰ることにしました。

 古い歴史のある「神社」には、神話時代からの伝説が残っているものです。

 

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