世直し集団・「真忠組」の墓参・九十九里町東光寺・江戸時代の騒動 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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 江戸時代後半、「真忠組」と申す「尊王攘夷」を掲げる「世直し集団」が、現千葉県九十九里で決起して、幕末の文久3年(1863)12月、攘夷と貧民救済をスローガンに掲げ、楠音次郎正光(首領)、三浦帯刀有国(副首領)ら140人余が山辺郡小関村(九十九里町小関)の旅籠「大村屋」を拠点として「真忠組」の旗揚げをしました。世に「真忠組騒動」と言います。この騒動に参加したのは、武士・百姓・商人・職人・漁民(網元・水主)・医師から無宿者までおり、山武・長生・匝瑳・香取・海上・市原の各郡にまたがる人々が参加しました。この「真忠組騒動」は、幕府の掃討藩に、囲まれ、一日で壊滅しました。「楠音次郎正光(首領)、三浦帯刀有国(副首領)」らは、即座に捕縛され、斬首されました。武士・百姓・商人・職人・漁民(網元・水主)・医師から無宿者たちは、逃げ出しました。幕府の武士たちは、まるで強かったのです。

 後ろ盾を持たない「真忠組」は、ただ騒いだだけで、壊滅しました。処刑された「真忠組の幹部」の墓所が、現千葉県山武郡九十九里町作田295 にある「東光寺」の墓所に 葬られています。私は 紺子さんを同行して、「真忠組」の地元の「東光寺の墓所」に行って参りました。

 「真忠組」幹部の墓所です。「世直し」をスローガンとして、弱者を救う運動です。真忠組は「救国救民(国を救い、民を救う)」をスローガンに、九十九里浜一帯で独自の理想政治を展開しました。

 当時は、刀を振りかざし、藩主や幕府に立ち向かえば、それだけで捕縛され、斬首の刑です。後ろ盾を持たなければ、力でねじ伏せられます。

 抵抗した者は、全員 斬首されました。

 歴史は、権力者に立ち向かい、勝てば、天下を取り、政権を担います。江戸時代には、話し合いもなく、武力で政権を取ろうとすると、即斬首です。

 現代は 民主主義になりました。選挙で選ばれた者が、更に選挙で政権を担います。世直ししたい者は、選挙に立候補して、世直しすれば良いのです。皆の同意が得られれば、政権を担えます。

 そんなことを考えながら、江戸時代に、「真忠組の墓所」のある地元の寺・「東光寺」に行って来たのです。同行の紺子さんは、身近な歴史を知って、しんみりとしていました。

 

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