この日は 千葉県野田市関宿元町にある「関宿城(せきやどじょう)」を訪れました。「関宿」の地は、現在でも「千葉県・埼玉県・茨城県」の三県を境とする地にあります。昔は、江戸川、利根川の水運を利用した要綱の地でありました。船を利用した川が交差する要綱の地は、水運・運搬に重要な地であり、室町時代以降、多くの武将たちの戦いの地でありました。
「関宿城」は、室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降簗田氏嫡流の関宿簗田家の居城になったと伝わります。江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれました。
戦国時代には関東の中心部における最重要拠点でありました。関東の制圧を目論む「北条氏康」は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評しました。
戦国時代末期には、北条方と上杉方の間で激しい争奪戦が繰り広げられました(関宿合戦)。北条氏康・氏政・氏照父子が、上杉謙信・佐竹義重の援助を受けた簗田晴助の守る関宿城を、3度に渡り攻撃しました。最終的には北条氏がこれを制し、北関東進出の拠点としました。
私と同行の赤子さんは、野田市関宿にある「関宿城」を訪れました。千葉県の最北部です。茨城県の最南部です。埼玉県の最東部にあります。「関宿城」に上り 天守閣から外を眺めました。利根川が北を流れ、江戸川が西を流れます。城の外は、三県の境があります。三県を跨ごうと思ったのですが、三県の境は 川の中にありました。跨げません。天守閣から 2人はしばし、遠くの外を眺めていました。
城は遠くから眺めても 格好が良いです。長い間に、二つの川の洪水によって、酷いダメージを受けました。「関宿城」は、建て直されています。ここ辺りに「関宿城」が室町時代以降、あったのです。私と赤子さんは、「関宿城」で 昔を懐かしみ、うなずいたのでした。
さて、「関宿」には、「ひまわりの里」があります。高さ2メートルにもなる、「ひまわり数十万本」が9ヘクタール(100m四方が9枚)の田んぼに咲いています。野田市関宿台町互助転作組合が「景観作物」である「ひまわり」の栽培を行っているもので、毎年7月には「ひまわりまつり」を開催しています。「ひまわりの里」は、畑や田んぼです。減反政策の一環として地元農家が1998年から栽培しています。7月末までの「ひまわりまつり」の期間中は、花を自由に摘み取ることが出来ます。まあ 見渡す限り「ひまわり」ですから、いくら 摘んでも 無くならないでしょう。赤子さんは、持って行ったハサミで、「ひまわり」を摘み取りました。それでも 十数本です。花が大きいので気持ちが良いです。
このくらいで良いでしょう。車に積んで 千葉事務所に持って帰ります。
千葉事務所では、持ち帰った「ひまわり」を花瓶にいけました。「夏満々」です。ただだから、凄いです。
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