栃木県宇都宮城・戊辰戦争の激戦地・新政府軍が奪回しました | 西村治彦の日記

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宇都宮城は、平安時代末期に建てられました。主な城主は、宇都宮氏、本田氏、奥平氏、戸田氏であります。

 現栃木県宇都宮市の中心街にある「宇都宮城」は、江戸時代最末期の「戊辰戦争」で、旧幕府軍と新政府軍との戦いの中で、悉く 焼失してしまいました。徳川幕府と新政府軍は、覇権を掛けて、全国で戦いを繰り広げました。上野戦争、船橋戦争、木更津戦争、鳥羽伏見の戦い、会津若松城の戦い、函館戦争などなど、旧幕府軍と新政府軍の戦いは、ここ「宇都宮城」でも繰り広げられました。

1868年、宇都宮は慶応44月(1868年5月)に、戊辰戦争の戦地となり、宇都宮城の建造物は藩校修道館などを残して宇都宮の町並み共々焼失しました(宇都宮戦争)。 この時、宇都宮城下戸数約3,000戸のうち8割以上の約2,000数百戸が焼失し、また寺町群も48寺院が全半焼したと伝えられています。 宇都宮城には一時大鳥圭介ら旧幕府軍が入りますが、新政府軍(薩摩藩、長州藩、鳥取藩、大垣藩などの藩兵隊)に奪還され、宇都宮藩奉行の戸田三左衛門に引き渡されました。 後、大津港に抑留されていた藩主戸田忠友も帰還し、これ以降、宇都宮城は東山道軍(新政府軍)の対会津戦争の拠点となり、板垣退助をはじめ東山道軍の幹部等が駐屯、宇都宮藩兵は新政府軍の一部隊として下野国内から白河、会津と転戦しました。 前藩主の戸田忠怨は同年5月27日(1968年7月16日)に宇都宮に帰城しますが、間もなく他界しました。 旧暦(同年6月)、宇都宮城内には下総野鎮撫府が古河から移転してきました。

戊辰戦争では、一時 旧幕府軍が城を守りましたが、やがて 新政府軍が 城を奪回しました。 こうして全国的に 新政府軍が、旧幕府軍を撃退したのです。

徳川第十五代将軍 徳川慶喜は、ここに大政奉還をし、政権は 徳川幕府から 新政府軍に移管されました。 そして「明治政府」が樹立されたのです。

今回 私と同行の金色子さんは、「宇都宮城」をくまなく散策しました。 当時の城は、戦火で全て焼失しましたが、その後 天守閣と富士見櫓が再建されました。 城の廓にあった建物は、現在ではありませんが、相当立派なものでありました。

 「宇都宮城」を後にして、この後 近くにある「宇都宮二荒(にこう)神社」に向かったのでした。「宇都宮二荒神社」も この戊辰戦争の際 火を放たれ 全焼しました。戊辰戦争は 物凄い内戦でした。

 

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