銀子さんの栗山川湖畔のあじさい館・柴山仁王尊に行く | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は 銀子さんです。久々の登場です。千葉事務所に来て戴きました。「千葉事務所で新人たちと美人コンテストをしたいです!」と私が提案したら、「そんなんこと嫌です!」と答えました。自信がないのですか?

 さて、私が運転して、館山道路を行きます。茂原方面に行って、最後は「栗山川」に到着しました。「栗山川」は、朝鮮半島の「高句麗」からの人々が、太平洋から登って、川沿いに定住したので、「高句麗川」と始め呼ばれたそうです。「高句麗」の「句麗」が残って、「山」が着き、「句麗山川」となり、遂には「栗山川」になったのだそうです。

 「栗山川」 には「あじさい館」がありました。この周辺は、6月になると「あじさい」の花が満開となり、川を彩ります。もうじきですね。「栗山川」を背景に銀子さんは 似合います。

「あじさい館」は、多古町の「道の駅」になっています。銀子さんの大好きな 買い物をしましょう。食料品だけです。大好きな「すいか」を買いました。

 昼なので 昼食です。銀子さん、食欲がありますね。

 ペロッつと平らげて、次は「千葉県山武郡芝山町柴山」にある「柴山仁王尊」に向かいます。

 「柴山仁王尊」は、天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられます。その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、「柴山仁王尊」も全山灰土と化したと伝えられています。

やがて江戸時代に入りますと、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となりました。特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられます。

現在でも有名な新門辰五郎の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日迄連綿として伝えられている事が分ります。

(サイトより)

銀子さん、「柴山仁王尊」に着くなり、「三重塔」の美しさに「感嘆のため息」です。銀子さんは 美しいものを見ると、興奮します。興奮しすぎると 怒り出します。それで私は銀子さんを怒らせないよう いつも気を配っております。

長い人生の旅路をゆったりと余裕を持って歩んで行きたいものであります。「大わらじ」の前で、「ゆっくり歩きましょう!」と 二人は 気を落ち着かせたのであります。

このところ、私は 出来るだけ人が少ない田舎に出掛けます。「コロナ」が怖いです。田舎なら 人に接する機会も少なく、ある程度 安心して出掛けることが出来ます。帰りましょう。銀子さんとも 千葉事務所付属の「撮影スタジオ」で 撮影致しました。

 

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