菖蒲城址と久喜菖蒲公園・菖蒲工業団地は大きいな! | 西村治彦の日記

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この日は 埼玉県久喜市にある「菖蒲(しょうぶ)城址」を訪れました。

 

 菖蒲城(しょうぶじょう)は、武蔵国埼玉郡新堀村(現在の埼玉県久喜市菖蒲町新堀)にあった城であります。古河公方・足利利成が、康正2年(1456年)に金田式部則綱に命じて築城させました。城の竣工が「5月5日の菖蒲の節句」であったために命名されました。天正18年(1590年)小田原征伐の後 廃城となり、以降は徳川家康に仕えた内藤正成が栢間(かやま)陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて5700石を知行し、上級旗本として14代、幕末まで同地を治めました。

 私は、この日、「菖蒲城址」を訪れました。現在は、「菖蒲城址」は「菖蒲畑」になっておりました。6月になると、「菖蒲城址」には 美しい「菖蒲の花」が咲きます。「菖蒲」は水生植物なので、土地は柔らかいです。城の遺構は 残っておりませんでした。残っているのは、「移築された菖蒲城の通用門だけでした。この門から「当時の城主やお姫様」が 城に通っていたのです。

 「兵どもが夢の跡」であります。

 

「菖蒲城址」の近くには、「久喜菖蒲公園」がありました。私は 高校時代には、魚釣りが好きであったので、、「久喜菖蒲公園の池」に魚釣りに来たことを思い出しました。当時は、公園として整備されていなくて、魚もあまり釣れなかった記憶があります。近くの「黒浜沼」でも 良く その友達と釣りました。どういう訳か あまり魚は釣れなかった記憶があります。「久喜菖蒲公園の池」は大きいですね。水鳥がたくさん寄ってきました。鯉もたくさん寄ってきました。人々が餌を撒いているので、水鳥も鯉も寄ってくるのです。

「久喜菖蒲公園の池」の周囲は「工業団地」になっています。大きな工場がたくさんありました。車を運転しながら、数えたら うん十とありました。「久喜菖蒲公園の池」の水を利用した「工業団地」が開発されました。工場には 水が必要です。

 大勢の人々が 「工業団地」に通勤します。町が開発されます。町も 昔とはずいぶん変わってきます。

私が「久喜菖蒲公園の池」で魚釣りしていた頃には、何もなかったです。

 私の高校時代と現在とを比べて、「ずいぶん世の中 変わったな!」と感心しきったのでした。

 

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