高崎市保渡田・井出地区には、八幡塚古墳・薬師塚古墳・二子山古墳の三基の100mを越す大きな「前方後円墳」があります。私は こちらへ 行って参りました。保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)と呼ばれています。
3つの古墳の中央にあるのが「八幡塚古墳」です。二子山古墳に次いで、5世紀後半に築かれたのが墳長102m(周濠を含めた全長は190m)の八幡塚古墳です。
創建当時の様子がわかるように二重の濠(ほり)と、内濠の内部に4つの島(祭祀場・または陪塚・身内の墓)が復元され、内堤上には54体の人物埴輪(じんぶつはにわ)・動物埴輪などが配置された「形象埴輪配列区」が配され、さらに墳頂部や中島などには6000体もの円筒埴輪が巡らされています。
出土した動物埴輪のなかには鵜形埴輪と呼ばれる首を高く上げ口に魚をくわえ、首に鈴のついた首紐が付けられた鵜の姿の埴輪があります。この頃から、鵜飼が行われていたことが分かります。
古墳の壁面には、小石で斜面が落ちないように、補強してあります。石の数は、数十万でしょう。 凄いですね。
石室があり、中には石棺が置かれ、この古墳の被葬者が収められていました。埋葬されたのは古代の毛野国(けのくに=群馬県・栃木県)の豪族・毛野(けの、けぬ)氏と推測されています。
毛野国は後に上毛野(かみつけぬ=群馬県)と下毛野(しもつけぬ=栃木県)に分けられるので、ここに埋葬されたのは赤城神社奉斎した上毛野氏かその一族の車持氏(くるまもちし)ということになります。遠くには、赤城山が聳えております。
八幡塚古墳のすぐ近くには、「薬師塚古墳」があります。古墳の上には、薬師堂があったことから、そう名付けられました。
現在は、薬師塚古墳の上には 人家が建てられています。長い間に 誰かが、家を建てて住みつぃて、そのまま現在に至ります。このような人家のある古墳は、千葉県でも見られます。古墳を削って、平にし、そこに家を建てて 人が住み着いている所もありました。
「出て行って下さい!」と役所が言っても、無理なのでしょうか。
八幡塚古墳から見える所に「二子山古墳」がありました。遠くから見ると「山が二つ」に見えるからなのでしょう。1500年もの長い間、これら三つの古墳群は、赤城山を望みながら、ここに ずっと座っています。
暗くなって 何も見えなくなったので、これで、帰ります。群馬県にも 大きな立派な古墳がありました。
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