六角堂・岡倉天心・大津波から8年半 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

私は茨城県北茨木市にある「六角堂」に行って参りました。
六角堂は、明治時代の西洋画を日本に紹介し、東京芸術大学を設立した「岡倉天心」が、
北茨木市の太平洋を臨む岩の上に建てたものであります。
私は今回、「六角堂」を訪れるのは、3回目であります。
今回見た「六角堂」は、以前とは少し違っていて新しいです。
それは、8年半前、この地も襲った大津波で、以前の「六角堂」は、流されてしまい、新たに建て直したからであります。 
新しいだけで、見た目は以前と同じです。
「岡倉天心」は、この「六角堂」で、自然を愛し、海に向かって、芸術について、考えていたのでしょう。
六角堂の手前の高台には、「茨城大学五浦美術文化研究所」がありました。
中に入ると、「岡倉天心」の銅像がありました。長い釣竿を担いで、海に釣りに出る仙人のような姿。
卓越した人生を、ここで過ごしていたのでしょう。
隣には、「岡倉天心」の旧自宅がありました。
8年半前の大津波は、高台の自宅まで、来たのだそうです。津波の来た印がありました。
海面から10.5mの所まで、津波は来たのです。
東日本で、この大震災で、1万8429人もの尊い命が失われました。
10.5mも高ければ、「六角堂」も流されてしまいます。
「岡倉天心」の自宅の裏には、「天心の墓」がありました。
私の父も絵描きでしたので、「岡倉天心」の生活振りは、想像出来ます。
「六角堂」を訪れて、私は人生の生き方を再認識したのでした。仙人のように、のんびりと楽しく、思い通りに生きていこう、と。
帰り、近くの五浦海岸の「二ッ島」に寄って参りました。大地震前は 島はふたつあったのですが、地震で一つは海に沈んでしまいました。
それで 現在は ひとつしか島はありません。
凄い地震であったのですね。
「二ッ島」を見渡す海岸沿いの広場に「とおりゃんせ」の像がありました。
この地・北茨木市出身の作詞家・野口雨情の童謡・「とおりゃんせ」の像です。
私も子供の頃、この童謡・「とうりゃんせ」を歌いながら、
女の子たちと、「とうせんぼ」をして遊びました。
思い出すと懐かしかったです。

 

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