仁右衛門島へ渡って、島の生活を学ぶ・38代目平野仁右衛門さんに会ってきました。 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

仁右衛門島へ渡って、島の生活を学ぶ・38代目平野仁右衛門さんに会ってきました。

 この日 我々一行は、鴨川市太海にある「仁右衛門島(にえもんじま)」に行くことになりました。

「仁右衛門島」は、鎌倉幕府を打ち立てた「源頼朝」が、平安時代後期に、「小田原の石橋山の戦い」で破れ、舟で敗走し、この「仁右衛門島」の洞穴に隠れて 身の安全を確保していたと言う伝説があります。

代々、この島には、「平野仁右衛門さん」と言う人と家族が住み、現在の「平野仁右衛門さん」と申す人は、38代目であると言われています。

 「仁右衛門島」は 岸から 200mほど離れて、ありました。島の周囲は 4キロほどであります。ゆっくりあるいて1時間の島であります。

「仁右衛門島」は 個人所有で「平野仁右衛門さん」が 代々 所有し、島を管理しています。

実際に 我々は、38代目の「平野仁右衛門さん」にお会いしました。実際には、長男ではないので、「平野姓」ですが、「平野仁右衛門」ではないそうです。「平野仁右衛門の息子です」と申しておりました。「この島を管理して、収入を得て 生活している」そうです。「仁右衛門島」には、「平野さん家族」が住んでいる家があり、公開されておりました。島は 海の中にあり 風が強いので、石を積み上げた 高い塀がありました。

まるで「沖縄に来た」ようでした。

「仁右衛門島」を1周しましょう。高台からは、海がよく見えます。

島の周りは 大きな岩だらけです。

対岸の海岸沿いの絶壁や建物が見えます。暫く歩いて行くと、「源頼朝」が隠れたと言う伝説の「洞窟」がありました。

「源頼朝」は 石橋山の戦いで破れてから、当時の「千葉城主・千葉常胤(つねたね)」に

 助けを求めて、舟で江戸湾を渡り、現千葉市のうちの事務所近くを流れる「都川」で、

下舟し、出迎えの「千葉常胤一行」に迎えられました。そして 千葉城で、

逗留し、仲間の援軍を待って、また攻め返し、遂には、「鎌倉幕府」を打ち立てたのです。江戸湾を渡って千葉に来るほうが、まるで 千葉城に 近いので、実際に、「源頼朝」は、外房の「現 鴨川市太海」にある「仁右衛門島」に逃げたのかどうかは、疑問視されています。まあ「伝説」ですね。

 「仁右衛門島」は そう広くなく、

遊びながら 1時間以内で 1周出来ました。楽しかったです。

面白かったです。

 一周して、舟が着くのを待ちました。その間に、38代目にあたると言う「平野仁右衛門さんの息子」と話をしました。

島へ来るには、舟で渡ります。往復一人、900円でしたから、大勢が「仁右衛門島」に来れば、かなり儲かると思いました。

但し、船頭さん2人、乗船券売り場に 一人、売店に 一人いましたから、人件費も掛かります。(切符売りと売店は家族かもです?)何人 島へ来たかの、足し算の世界なので、物凄く利益が出ているとは思いませんでした。

しかし 島を出ないで、38代も「平野家」が続いているので、食うに困らない収入があると思いました。

島は 全て「砂岩」で出来ているし、畑が出来る島ではないので、作物は 出来ないと思いました。

 舟で 渡れば、「平野家」は 何の不自由もない生活が出来ると思いました。

 私は やはり、島での生活より、自由に 全国を飛び回った方が 良いと思いました。

 

ランキング参加中です。
読み終わったら最後にワンクリック!
↓ご協力おねがいします。

にほんブログ村 士業ブログ 社会保険労務士(社労士)へ
にほんブログ村

 

西村社会保険労務士事務所ホームページ

↑役立つ社会保険情報 掲載中

求人情報ものっています!!